登山正文の生きざま

時代を超えるアドベンチャーしようの思い出2

時代を超えるアドベンチャーしようの思い出2
バタヤンがやっているラジオの収録、放送があった。
家から三条寺町の
ラジオカフェまでチャック全開で行った。
俺のこういうところもう直らないんだ。
もちろんラジオでも
4/30について語った。
これですよ↓

【私の思い出企画・春のオールナイトキャンプ】
4/30(火)京都METRO
OPEN 22:00 ADV ¥2,500

・LIVE
匕首蝮/UCARY AND THE VALENTINE

・CAMP
私の思い出

・DJ
SHIMTATSUYA/鈴木雅勇気
登山正文
…and more!

・FOOD
JUNGLECAVE

ご予約つねにお待ちしております!!!!!!!
はい!!
それでは平成を振り返る。

主に自分語りになってしまうが
平成元年のとき、5年生だった。
あまり記憶にないが
このあたりがバブル期だったようだ。

手元の資料によりますと
平成元年あたりがバブル絶頂期で
平成3年あたりがバブル崩壊期らしい。

自分でいうと小5から中2か。

テレビや本などで
ボディコン、ハイレグ、ジュリアナ、
イタメシなどの言葉は知っていた。
アッシーくんなんてのもあった。
今日びのヤングにはまるで
馴染みのない言葉と思われる。

中学生のときは
こんな俺でも
トレンディドラマを見ていた。
東京ラブストーリーとか
101回目のプロポーズとか。
恋をしたこともないのに
あんなもんの
何がおもろかったのか。

この頃には
バンドブームというのもあった。
ブルーハーツとかジュンスカとか
ユニコーンとかをカセットで聞いた。
好きだったのはXと聖飢魔Ⅱだ。

が、今ほど音楽に興味なくて
ファミコンとPCエンジンと
メガドライブとゲームボーイと
スーパーファミコンをしていた。

中学は野球部に入ったが
ランニングばかりさせられるので
バカバカしくなって、すぐ辞めた。

特に野球が上手かったわけではないが
6年の時にたまたま
右京区選抜チームの一員に選ばれ、
JACと試合をしたのが
俺の野球人生のピークだったか。
ちなみにJACの
エースで4番は真田広之だった。
ドラマの高校教師が流行る前だ。

というわけで
ご覧の通り、
相変わらず頭は悪かった。

令和を迎えるキャンプのために!
と平成を振り返っているが
意味あるのだろうか?

いや、意味がないからこそ
私の思い出なんだったな。

次回、バブル崩壊後の激動と
そして混迷の世紀末へ?
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