登山正文の生きざま

人を恋うる歌の思い出

人を恋うる歌の思い出
俺のようなアクティブな無職にも
一応、一年の区切りのようなものがある。

それが7/31で、友達の命日だ。
もとバンドメンバーでもある。

去年が13回忌だったので
今年で14年か。

「友を選ばば書を読みて六分の侠気四分の熱」

このフレーズは昔から好きだ。

若いときは
「俺はこうありたい」
という理想があって、
それを友達どうしで
夜を通して熱く語ったりする。

侠気というのは
いまだによくわからないが、
約束を守るとか信用できるとか
助けてくれる
って感覚に近いかな?



時代遅れな
精神論的発言かもしれないが、
特に一緒にバンドやる場合は
大事なのは
上手いか下手かよりも
熱だと思う。
(ただし、いい音楽にいちばん必要なのは
友情ではなく正確さだと思っている)

ところが侠気にせよ熱にせよ、
生きているとすり減っていく。
そらぁもう簡単になくなる。
すぐなくなる。

バンドメンバーが
脱退したり失踪したりするのは、
まずバンドに対する熱がなくなって
侠気がなくなるんだろう。

熱がある人にとっては大事な約束でも、
熱のない人にとっては面倒なだけ。
約束を破る
というのは侠気のかけらもない。

だから、
もし友達が生きていたら、
熱も侠気もすり減って、
途中で俺とは
仲が悪くなっていた可能性もある。
もしくはおたがいに完全になくなって
「もう満足したな」
とバンドなんか辞めてたり。

しかし、不幸なことに友達は死んだ。
特に友達の死とは関係ないが
俺はなんか友達にも自分にも
納得がいかんままで、
バンドを辞めれなかった。
で、途中で
「ただ俺はバンドが好きなのか」
と気づいた。

「ああわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず」

さらにいうと
俺はこの作者よりも
はるかに才能も熱もない。
だが侠気、いや意地かな。
俺にも意地だけはまだ少しあるね。
石を抱いて水に飛び込むぐらいの
意地で野に歌おうじゃないか。はっはっは。
今さら何になりたいとかもうないし。
ただ、自分がすり減るまでやりたいだけやから。

はい!
皆様御存知、引用したのは
与謝野鉄幹「人を恋うる歌」です。
死んだ人を強く思うというのは
恋というより祈りのようなものか、
はたまた歌のようなものか。

もしも叶うものならば、
友達に会ってみたい。
で、この14年間の俺のことを
どんなふうに思ってるか教えてほしいね。
場合によっては喧嘩にもなるかな。
まぁ、俺も41まで生きれたしもうすぐ死ぬ。
俺は長寿日本一を目指しているが
どんなに長くても、
あと150年もすれば会えるだろう。
どうせなら、
なるべくダイナミックに死にたいぜ。
それも侠気のひとつじゃないか。違う?じゃあの!
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