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宝永の大火

宝永の大火
1708年4月28日、
宝永5年3月8日のこと。
油小路姉小路から出火して
市街地の4分の1が
焦土と化しました。
宝永の大火です。

火災の後、
一部の町、民家が、
鴨川の東など郊外に移され、
結果、京都の市街が
拡大することになりました。

御所の南、
寺町通りと河原町通りに
挟まれたところに、
新椹木町通り、
新烏丸通りと、
「新」のつく通りが2本あります。

通りは「本」でいいですよね?

さらに鴨川を渡り、
川端通りから東大路通りまでの
二条通りから三条通りの間には、
新車屋町通り、新東洞院通り、
新間之町通り、新丸太町通り、
新麩屋町通り、新富小路通り、
新柳馬場通り、新堺町通り、
新高倉通りと「新」だらけ。

宝永の大火からの復興にあたり、
幕府は御所一帯の
大改造計画を打ち出しました。
南は丸太町通り、
西は烏丸通りの
現在は御所に含まれる部分まで、
27の町を立ち退かせ、
跡地を利用して御所や公家屋敷を
再建、復興、
そして拡大整備を行いました。

このとき、
被災地を御所に譲渡した人々が、
新たに移り住んだのが、
さきほど挙げた
「新」の付いた通りなのです。
アメリカのニューヨークや、
北海道の北広島と
似たような感じですかね。

知らんけど。

それにしても。
300年以上前にできた通りに
「新」と付いているのがすごい。

ちなみに写真は
新烏丸通りにある喫茶店。
ハイファイカフェです。
大好き!
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