京都フルーツ

コロナ禍の保育園にて

コロナ禍の保育園にて
自分のことをワクイという次男は
今年保育園を卒園する。
最後の年だというのに
今年は新型コロナウイルスの影響で、
お迎えにいっても室内に入れず、
テラス側の入口で待たされる。

いつまで待たされるのかといえば、
ワクイが私に気づくまで待たされるのだが、
実はこれがなかなかよい。
普段は私がいるとき用に
彼なりに飾ったというか、
気取ったというか、
とにかく私を意識したワクイしか
見られないから、
お友達と談笑していたり、
無心でLaQを組み立てていたり、
私がいない時のワクイを入口から見ていると
なんかドキドキするのだ。

もう、ずっと見ていられる。

ずっと待たされてる私に気をつかって
先生が「お父さん来たよ」と
ワクイに教えてくれるのだが、
正直なことを言ってしまうと、
なんて余計なことを・・と思う。
(ほんまにすんません!)

私に気づいてしまったら、
もう、私が知ってる
いつものワクイになってしまう。

ところがワクイは、
私を一瞥して、
また元通り、お友達と談笑したり、
LaQを組み立てたりする。
しかし、その姿はもう先ほどの彼ではない。
私を意識しているのだ。
私が見ていることを意識して、
「お父ちゃん待ってるけど、
待たせといたろ」という、
なめたオーラが体全体から溢れている。

さっきまで愛おしくてたまらなく、
いつまでも見ていたいと思っていたものが、
同じ行為なのに、
いつまでやってんねん、
早よう帰る用意せんかい。となってしまう。

親というのは勝手なものだ。
親全般じゃなくて、
私だけかもしれないけれど。

あの待たされてる時間くらいかなー。
コロナ禍も悪くないと思ってしまうのは。
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