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大台に手をかける

大台に手をかける
インターネットの記事のなかに
変な表現を見つけることが
しばしばあり、
前までは「けしからん」と
思っておったわけですが、
近頃は、そこに
新たな可能性を見る思いがして、
そうやって眺めてみると、
一般的に「誤り」とされる表現にも
面白さがあるものです。

見方を少し変えるだけで、
こんなにも
見え方は変わるものなのですね。

今回、気になったのはコチラ。
まず引用いたします。

「2020年シーズンでパ・リーグ一筋で活躍してきた2選手が、この大台に手をかける可能性を持っている。通算299犠打のソフトバンク今宮健太内野手と通算296犠打のロッテ細川亨捕手だ。」

通算300犠打という、
なかなか達成できない記録の
達成を目前とする
2選手についての記事なのですが、
私が気になったのは
「大台に手をかける」です。

「広辞苑」で調べてみました。
「手をかける」は
①苦労をいとわず、手数をかける。手間をかける。「手を掛けて育てた子」
②手出しをする。また、盗む。「人様のものに手を掛けるなんて」

①の用法だとするならば、
「大台に手をかける」のではなく
そこにいたるまでに
手をかけたわけですよね。

②の用法だとするならば、
うーん。難しい。
せめて盗塁の記録だったら
なんとかこじつけられたのに。

いずれにせよ、
「大台に手をかける」は
辞書に載っていない
新しい用法ということになります。
「広辞苑」以外の辞書に
載ってるかもしれない、
という可能性については
とりあえず置いておく。

では、
なぜ「大台に手をかける」
という表現が生まれたのでしょう。

イメージとして、
崖をよじ登っている人が、
何度も落ちそうになりながら
やっとの思いで、
あそこに!あそこの、
あそこの大きな台まで辿り着いて、
あの大きな台に
手を掛けることさえできれば!
と頑張って、
やっとの思いで、
「ガシっ!」と台に
手を掛けたという、
そんなイメージから
生まれたのかしら。

そういう可能性も
あるかもしれませんが、
思うに実はもっと単純なことで、
おそらく、
「王手をかける」と
混同したのではないかしら。

またまた「広辞苑」の登場。

「王手」を調べてみると、
二つめに
●勝利・達成などが間近な状況に至ること。「優勝に王手をかける」
とあります。

間違いない。
王手をかけるの「王」を
抜いたわけですね。

この意味で「手をかける」
という使い方が
定着するかどうか、
わかりませんが、
いや、たぶん無いと思いますが、
こういう、
誤りとされている表現について
しっかり考えていくことは、
「正しくない」と
断固拒否してしまうより、
建設的であるな、と
思った次第なのであります。

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