京都フルーツ

京都フルーツ 裏切り癖のある男

京都フルーツ 裏切り癖のある男
今年は大河ドラマの影響もあり、
空前の明智光秀イヤーと
いわれています。
明智光秀といえば
本能寺の変でしょう。

主君の織田信長を裏切り、
信長のいる
本能寺に火をつけたわけですね。
この行為によって光秀は
裏切者のレッテルを
貼られることになりました。
 
しかし、光秀はそれ以前から、
小さな裏切りは
繰り返していたとされています。
例えば、寺子屋での
抜き打ち試験が終わったあと、
友人たちと試験の出来栄えについて
語るときには、
「全然できなかった」といって
満点をとったり、
信長に命じられ、配下全員で
長距離走の競争をした際は、
秀吉たちに「一緒に走ろう」と
呼びかけたにも関わらず、
彼らを置いてさっそうと
駆け抜けることもありました。

このため、本能寺の変で
信長が討たれたときも、
周りは「まさか」ではなく
「やはり」という感想が
ほとんどだったそうです。
秀吉が即座に
光秀の裏切りに対応できたのも、
光秀は裏切る男だという
心づもりが
あったからだといわれています。
 
また、秀吉は
長距離走で抜け駆けされたことを
かなり根にもっていた
ともいわれています。
いつの日か光秀には
仕返しをしてやらねばならんと、
復讐の炎を燃やしていた秀吉は、
光秀が本能寺で裏切った際、
時は来たとばかりに、
逆に涙して
喜んでいたとされています。

このため、裏切り癖のある光秀に
本能寺で信長を討つよう、
そそのかしたのは
秀吉ではないかという説も
あるほどです。
 
光秀を討ち、感極まった秀吉は、
「あやつは本能寺だけでなく
わしの心にも火をつけおった」と
つぶやきました。

親日家としても知られる
ジムモリソンが、
このエピソードを元に
あの名曲を作ったことは
意外に知られていません。

本気にしないでくださいね。
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