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能楽発祥の地 新熊野神社

能楽発祥の地 新熊野神社
応安7年・西暦1374年に
足利三代将軍義満が
現在の東山区にある
新熊野神社を訪れました。
新熊野神社は
後白河法皇の創建した神社です。
後白河法皇は生涯34回、
熊野詣でに出かけたほど、
熊野三山を信仰していました。
いまも境内にそびえる
クスノキの大木は、
後白河法皇が熊野から
苗木と土を取り寄せて
自ら植えたものだとされています。

神社は 京都に建てた
新しい熊野の神社・・
つまり、昔の熊野ではなく
今の熊野だということで、
「いま」という読み方に
「新しい」という字を当てて、
「新熊野神社」と
読ませることになりました。
 
そんな「新熊野神社」を訪れた
足利義満も熊野信仰に
篤い人物だったそうです。
その義満が新熊野神社を訪れたとき、
境内を舞台にして、
大和猿楽の一つ、
結崎座の役者の親子が、
猿楽を舞っていました。
お父さんの観阿弥と息子、
のちの世阿弥です。
義満は観阿弥よりも、
子の世阿弥の舞いに
くぎ付けになりました。
 
こののち、
世阿弥は義満の庇護を受け、
京都で舞台を重ねることになります。
世阿弥は物まねや
言葉芸が中心だった猿楽に、
旋律に富んだ
白拍子の舞いなどを取り入れ、
現代の能楽の礎を築きました。
新熊野神社には
能楽発祥の地の石碑があります。
 
ちなみに・・
先ほど境内にそびえる
大きなクスノキは
毅然として立ち尽くす姿から、
長寿や病魔退散に
ご利益があるとされています。
なかでも特に知られているのは
お腹の神様としてのご利益です。
 
どうしてお腹の神様として
親しまれるようになったか?は
諸説ありまして、
●後白河法皇が
お腹が弱かったとされ、
このクスノキに
お腹の改善を託したという説
●クスノキが
防虫効果のある樟脳の原料に
なることから、
お腹の虫を退散させると
考えられるようになったとする説
●そもそもは安産にご利益があり、
それが妊婦さんのお腹の神様に
なったとする説などがあります。
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