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イギリスといえばロビンマスクとナイチンゲール

イギリスといえばロビンマスクとナイチンゲール
5月12日は
ナイチンゲールデイでした。
いまでは看護師の
代名詞にもなっている
「白衣の天使」という
呼び名の由来にもなったイギリス人、
フローレンス・ナイチンゲールの
誕生日です。
いまからちょうど200年前、
1820年に豊かな家庭に生まれた
ナイチンゲールは
1853年に勃発したクリミア戦争の際、従軍先の野戦病院で懸命に働き、
亡くなる負傷兵を激減させました。
 
イギリスではクリミア戦争で、
負傷兵が増えたため、
女性看護団を現地に送ることを決め、
ナイチンゲールを
リーダーに指名しました。
ところが現地の陸軍幹部は
「女が戦争とどう関係があるのか」
と、看護活動を拒否したため、
ナイチンゲールは
野戦病院のトイレ掃除から始めて、
看護活動に移ったそうです。

野戦病院では負傷兵が床に寝かされ、害虫がはい回っていました。
不衛生が負傷兵の命を奪っていると
考えたナイチンゲールは、
間隔を空けてベッドを置き、
換気と日当たりに気を使いました。
また、自費で洗濯室と台所を作り、
患者には清潔なシャツと
特別食を提供。
看護師には手洗いの徹底を命じて、
「できれば顔も洗ってください」と
指示しました。
負傷兵の死亡率は「42%」から「5%」に下がったといいます。
ナイチンゲールの功績は
コレにとどまりません。
その後、死亡率の統計を
グラフ化して、
不衛生や過密が
主な原因だったことを
公表することで、
医療現場の改革を進めました。

時は流れ現代。
ナイチンゲールの生まれた国、
イギリスでは
新型コロナウイルスの感染が
深刻な状況にあります。
ジョンソン首相が入院したのは、
かつてナイチンゲールが
看護学校を開いた病院でした。
首相は退院の際、
看護師2人の名前を挙げ、
「ジェニーとルイスが
48時間にわたり、
私のベッドの横で待機してくれた」
と感謝の思いを述べました。
 
かつて戦場で活動を
拒否された看護師が今、
病院で首相の命を
救ったことについて、
ロンドンにある
ナイチンゲール博物館の副館長は、
「今の状況をナイチンゲールが
見たら、看護師の地位が
上がったことを誇りに思うはずです。
そして、こう呼びかけるでしょう。
さあ手を洗いましょう!と」
 
ナイチンゲールが
90歳で亡くなったとき、
メディアは「国葬に値する」と
報じましたが、
ナイチンゲールは
派手なことを嫌ったため、
葬儀は小規模なものとなり、
墓石にはイニシャルの
「F.N」とだけ記されました。

5月12日は
ナイチンゲールの誕生日で、
「看護の日」でもあります。

※今回、ほとんど、
何月何日やったかは忘れましたが
毎日新聞のコラムを参考にしました。
その他、何紙かのコラムも
参考にしています。
新聞って面白いですね。
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