お願いフルーツ「その他」

災と禍と蝸と

災と禍と蝸と
鍋のようで鍋でない。
渦のようで渦でない。
それは何かと尋ねたら?
最近よく見る「禍」という字。
コロナとセットで「コロナ禍」です。
訓読みでは「わざわい」と読みます。

「わざわい」といえば、
「災害の災」がまず思い浮かびますが
この「災」と「禍」について、
6月9日の「琉球新報」のコラムに
書かれていました。

『漢字の使い分けときあかし辞典』
という、
同訓異字を解説する本によると、
本来「災害の災」は字が示す通り、「火」がもたらす「わざわい」で、
近頃よく見る「禍」のほうは
神仏がもたらす
「わざわい」だそうです。

似たような漢字つながりで、
「蝸」もあります。
「蝸牛」で「カタツムリ」。

6月12日「佐賀新聞」のコラムが、
児童文学作家の新見南吉さんの
『でんでんむしのかなしみ』という
童話を引用していました。

ある日、自分の背中の殻の中に
悲しみがいっぱい詰まっていることに気づいた小さなカタツムリが、
友達に「どうしたらよいか」と
聞くと、
友達は「それはあなただけではない。
私の背中の殻にも悲しみは
いっぱい詰まっている」と答えます。
違うカタツムリにも聞きますが、
同じ答えが返ってきます。
どの友達からも
返ってくる答えは同じです。

小さなカタツムリはやっと、
「悲しみは誰でも持っている。
私は私の悲しみを
乗り越えていかなければならない」
と気づき、
嘆くのをやめたというお話です。

今回のコロナ禍に関していうと、
ひょっとすると、
持たなくてもよい悲しみを
抱いてしまったケースも
あったかもしれません。

そういえば、先ほどの
『漢字の使い分けときあかし辞典』
によると、
コロナ禍の「禍」という漢字は、
「防げたもの」を指すともあると、
「琉球新報」に書いておりました。

文字の話ですと、
「薔薇」「麒麟」
「慇懃無礼」「鬱」などなど・・
読めるけど書くのは
難しい漢字があります。
頭の中で思い浮かべてみると、
だいたいどんな漢字なのか、
輪郭はわかりますが、
ディティールが
うまくつかめないから
書けないんですよね。
似たようなことは
実際にも起こっていて、
輪郭を捉えているのに、
では実際に誰が
どういうことに困っているのか、
うまくつかめていないから、
時に的外れな対策が
実行されたりするものです。

的外れな対策が、
防げた禍をもたらし、
背中に無くてもいい悲しみを
背負うことになった人のことを
偉い人たちが、
せめて気にかけていてほしい。
TOP