京都フルーツ

1人目の客になれた話

1人目の客になれた話
涌井慎です。
趣味はオープンしたお店の
1人目の客になることです。

6月19日、
都道府県をまたいでの
移動が解禁になり、
私の趣味もようやく、
誰に何の文句を言われる筋合いも
なくなったような気がします。

移動が解禁されたからって、
ウイルスが終息したわけじゃ
ないんですからね。
と大きなお世話を
おっしゃられる方も
私の周りにはおられないので
大変助かっております。

妻なんぞは、
今朝9時40分頃に、
「もう行かなきゃいけない
時間じゃないの?」と
私に告げてくれました。

今日の目当ては百貨店。
8階にオープンするラーメン店。
お腹空かせて行きまんねん。
そうでんねん、なんでんねん。
韻踏んでまんねん。
韻踏むのにちょーどええねん、
関西弁。

梅雨って何かしらと
思うほどのいい天気です。
長い長い下り坂を
君を自転車の後ろに乗せて
ブレーキいっぱい握りしめて
ゆっくりゆっくり
下っていきたい気分です。

いやはや、
あんなに堂々と、
交通法規違反を
歌っている曲も珍しい。
私もあの歌と同じくらい、
堂々と趣味に邁進すべく、
自転車を漕いで漕いで、
四条烏丸に到着。
なじみの駐輪場に自転車を停めて
向かいますのは、
みんな大好き大丸京都店。

「店」は「みせ」と読むんです。
でも勘違いしないでほしい。
「みせ」と読むのは関西だけ。
札幌なんかは
「だいまるさっぽろてん」
なんだぜ。

京都みせは10時オープンですが、
目当てのラーメン店は
11時オープンです。
10時10分、京都みせに入店。

入口に四つ連なる消毒液
ぷしゅぷしゅぷしゅぷしゅ
右に左に

エレベーターでは
おじいちゃん二人と
おばあちゃん一人と一緒になり、
最年少の私は、
最年少らしい大人気のなさで、
「おまえら8階を押すなよ」と
念じながら、
幸い皆さん7階で降りますと、
私一人を乗せたエレベーターは
8階で扉を開きました。

観葉植物の緑の向こうに
青空が見えます。
あそこで2年ほど前から
夏にやってるビアガーデンも
今年は中止なのかしら。

少し見た感じですと、
まだこのフロアに
客らしき人はおりませんが、
念には念を入れ、
早足で歩いていくと、
突き当たりにある
ファミリー食堂の向かい側に
目当ての店がありました。

誰もおりません。
暖簾の前に
「只今、準備中でございます。
今しばらくお待ちください。」
と書かれており、
その下には
「Just preparing now」。

なんとなく、
翻訳の醍醐味とは、
こういうところにあるのだろうと
思いました。

後ろから私に話かけてきたのは
ファミリー食堂のおっさんです。
今日はあんたに用はないねん。
おっさんいわく、
「11時オープンでございますので」

「待ってちゃいけませんか?」
「いえいえ、
ありがとうございます。
よろしければ、
鷲のマークのところで
お待ちいただけますか?」

どこにそんな
大正製薬のマークがあるんだい?
何言ってるんだこのおっさんは。
と思っておりますと、
足下にああ、確かに
足のマークがあります。

社会的距離ってやつです。
そうか、
気付いておりませんでした。
親切なおじさん、ありがとう。
今度必ず、
ファミリー食堂にも行くからね。

しばらく待っておりますと、
店の中から、
誰からも愛されそうな
肉こぼれ気味のおばちゃんが
やってきて、
「立ちっぱなしじゃ大変でしょ?」
と椅子を
差し出してくださいました。

「ありがとうございます。
1人目の客になりたくて、
早めに来たんです」

「あらやだ。嬉しいですぅ」

見つめられて、
微笑まれて、
そんなことを言われただけで、
おばちゃんに
少しだけ傾いてしもたやないの。

いま私は、
接待を伴う飲食店の存在意義が
わかったような気がしたね。
行ったことないけど。

10時40分。
8階もだんだんと、
活気が満ちてまいりました。
どの飲食店も
まだ開いていませんのに
不思議なものです。

私の後ろには、
まだ誰も並んでおりません。
社会的距離を示す
足のマークが寂しげです。

さきほどから何人か、
「今日オープンか」と
つぶやきながら去っていきます。
そうなのだよ。
その今日オープンのお店の
1人目の客が私なのだよ。

ファミリー食堂の女性従業員が
目が合った私に
「いらっしゃいませ〜」と
言ってくださいました。
そっちには
今日は行かない私なのに。

そうか、8階の飲食店は
みんなファミリーなんだね。
隣同士いがみあったり、
創業年が違うと訴訟してみたり、
兄弟喧嘩で別れちゃったり
しないんだね。

この、やさしさに包まれる感じが
大丸が長らく
愛される理由なのでしょう。
目に映るすべてのことは
メッセージなのです。

10時55分。
振り向けば10人ほど並んでいます。
この瞬間の私に溢れるものを
誰も理解はしてくれまい。

さっきの
肉こぼれ気味のおばちゃんが
私の後ろに並ぶおじさんに
「あらやだ、
ありがとうございますっ〜」
と言うと、
おじさんが
「おめでとうございます。
1番狙ってたんやけどね」と笑う。
それを聴いて心の中で私も笑う。
あ、また溢れた。

6月20日・土曜日午前11時、
大丸京都店8階
ファミリー食堂の向かい側に
オープンした
中華そば専門店「新福菜館」の
1人目の客は私です。


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