お願いフルーツ「その他」

15年後のラブソング

15年後のラブソング
職場の3階に映画館があるのに
ろくに観に行ったことがなく、
仕事柄、周りには
映画好きの方が多く、
あの映画はどうだ、
この映画はどうだ、と
好き放題おっしゃられているのが
正直鬱陶しいのですが、
自分も映画を観ておれば、
ああ、この人、私が
映画を観ない人やと思って
話しかけてきてるけど、
実はけっこう観てるんですよね。
アホみたいに話してるけど。
ほんまにアホみたいやな。

と心内マウントをとり、
遊ぶことができますから、
というわけでもないのですが、
せっかく近くに
映画館があるんだから、
少しくらいは
観に行こうということで、
今回もフラッと立ち寄ったとき、
上映されてる作品を観てみました。

舞台はイギリス。
長年一緒に暮らす男女。
それなりに
幸せな暮らしに見えるのですが、
男のほうは、
90年代に表舞台から姿を消した
伝説のミュージシャン
タッカークロウに心酔しており、
全世界のタッカーファンと
コミュニティを作って
ネットでオフ会のようなことを
楽しんでいます。

女のほうは、
タッカーの良さがよくわからず、
男の趣味に辟易としていますが、
ある日、なんと、
この女のほうに、
タッカークロウ本人から
メールが届き、
やがて三人が
顔を合わせることになります。

だいぶ端折っているので、
なんというテキトーな話なんやと
思われるかもしれませんが、
一から説明すれば、
ちゃんとした物語です。
どんなちゃんとした物語なのか、
気になる方は映画を観てね。

3人が顔を合わせた際、
タッカークロウの
未発表のデモテープの
話題になります。
このデモテープは
タッカーに会う前、
男と女の喧嘩の種に
なっていました。

男は素晴らしい作品と
手放しで褒めるのですが、
女はつまらない曲だと
切り捨てます。
そんなデモについて、
作ったタッカー本人は
2人の前で
「クソみたいな曲だ」といいます。

ここまで、
タッカーに心酔している男が、
心酔しすぎていて、
冷静に作品が判断できていない、
あるいはセンスがないという、
描かれ方をしています。
そのうえ、この男は、
浮気もするし、口が悪いし、
とにかく「クズ」なので、
観ている私も、
「こいつ、ほんまに
どうしようもないアホやな」と
思うわけですが、
このアホが、タッカーに
デモ曲を「クソ」と言われたとき、
「それでも俺はこの曲が
名曲だと思う。
作品は作者のものではないんだ」
と言い放つ。
その一言だけで、
私はこの男のクズぶりを
全て許すことができました。

そうなのです。
本来作品は作品になった時点で、
作者の手から離れ、
誰のものでもなくなり、
やがて誰かの手に渡り、
その誰かのものになるのです。

作者のなかには、
見方聴き方をやたらと
押し付けるタイプがいて、
私はああいう輩をみていると、
食べ方にいちいち注文つけてくる
ラーメン屋のご主人のように
思えてくるのです。

そうじゃないんだ。
芸術というのは、
受け取る側が
自由に受け取ればよいのだと、
背中を押してくれた映画です。

とか、
こういうこと書いてたら、
また、たいそうセンスのよいお方が
「違う違う、そんな見方は違う。
この映画はこうでああで・・・」
などと、おっしゃられるので
ありましょうか。

しかし、
それはそれでよいではないか。
人は人、私は私。
それぞれがそれぞれに、
自分の大切にしているものを
大切にして、
互いが大切にしているものが、
大切にしているがゆえに
ぶつかることがあるならば、
その時ばかりは戦うなら戦い、
譲るなら譲ればよい。

そんなことを
考えさせてくれましたね。
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