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森鷗外とスマホ

森鷗外とスマホ
実際に読んだことはなくても、
『舞姫』や『山椒大夫』とともに、
森鴎外の代表作として
名前は知っているという方、
多いかと思います。

『高瀬舟』。
桜散る春の夕べ、
京都・高瀬川に
罪人を乗せた舟があります。
罪人の名前は喜助。
殺人の罪で
島に流されることになりました。
それにも関わらず、
喜助の表情は非常に晴れやかです。
同じ舟に乗って、
喜助を護送する役目を担う役人が
不思議に思い、尋ねてみると、
喜助が殺人にいたるまでのことを
話し始めます。

喜助が殺めた相手は弟です。
弟は極貧のなか、病を患っていて、
二重苦ゆえに
自殺を試みていましたが、
死にきれずにいたところ、
喜助はその弟の死の
手助けをしたんですね。
 
この物語は江戸時代の随筆を
下敷きとした森鴎外の創作で、
もともと、身分格差の中で
生活苦に追われた喜助が、
罪人に渡される
わずかな支度金を喜び、
流刑地とはいえ、
居場所を得たことに安心する
「知足」の物語として
研究されてきました。

「足るを知る」というやつですね。
確か龍安寺に吾唯足知って彫られた
手水鉢がありませんでしたかね。
確か水戸光圀寄贈とか。
あやふやな知識を披露してしまった。

スマホで打ってるなら、
ついでに調べろや、
という話ですが、
めんどくさいんやからええやんけ。

在るものは全部使わないと
あかんのですか?
在るけど使わないところに
人の贅沢っていうのは
在るんとちがうんけ?

すみません。
話がずいぶんと、
イナバウアーしたばかりか、
語り口も汚くなってしまいました。
話を元に戻します。

 昭和の終わり、1980年代になると、
高齢化が進み、過剰な医療を拒んで
尊厳死を求める声が高まると、
「安楽死」を扱った作品としても
研究されるようになりました。

今日のこの文章は
何月何日か忘れましたが、
毎日新聞の記事を
参考にしております。

これも記事に書いていたのですが、
近年はブラックジャックの
ドクターキリコが出てくる回と、
高瀬舟を読み比べて、
安楽死について学習する、
という授業もあるそうです。

科学や医学の発達のおかげで、
人は生きたいと思う以上、
長生きできるようになりました。
しかし、だからといって、
長生きできるのならば、
長生きすればいいじゃないか、
というのは理屈としては通りますが、
人間っていうのは、
そんな簡単な理屈だけで、
生きているものではないから
難しいのです。

スマホが在るなら、
スマホで調べればいいじゃないか、
という結論に達してしまうような
生き方をしていると、
そういう人間の難しい生き方から
遠ざかってしまい、
結果、人生のことを
ちゃんと見つめる力を
失ってしまうのではないか?という
危うさを感じているがゆえに、
私は在るからといって、
なんでもスマホで調べるということを
しないのです。


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