お願いフルーツ「その他」
分厚い自分フィルターをとりはずせ
自分の感覚を
信じすぎないようにしています。
身の回りに信じすぎて
新しいものを
取り込めない人が
たくさんいるからです。
これは、
見た感じ、
新しいことを
取り入れてる風の人でも、
いつのまにか陥っている
落とし穴です。
自分の感覚を信じすぎると、
自分フィルターが
分厚く分厚くなってしまい、
せっかくの良いもの、美しいものが
ダイレクトに入ってこない。
分厚いフィルターによって、
自分仕様に仕上がってからしか
入ってこないので、
素材本来の旨みを
咀嚼することができないのです。
そうなってはいけませんから、
全く自信が無いというのも
考えものですが、
常にひょっとして自分は
感覚が鈍なんではないか、
ということを
問い続けていないといけません。
そんなことを考えるので、
何かアートに触れるとき、
私は自分フィルターに
なるべく通さないことを
心がけております。
例えば映画を観る場合には、
自分が観たいと思う映画を
観に行ってはいけません。
選ぶ際にすでに、
自分フィルターが
かかってしまいますから、
そこで私が実践しているのが、
「何曜日何時に
上映してる作品を観る」と
決めることです。
こうすれば、
思いがけない、
自分では観ようと思わないけど、
観てみたら、
めちゃくちゃ面白かった!
という作品に出会えるものです。
前置きが長くなりましたが、
そうやってして見た
「今宵、212号室で」という映画が
ほんとにめっちゃくちゃに
面白かったので、
自分のこのやり方を
これからも信じていこうと
思いました。
前置きが長くなりすぎたので、
どんな風に面白かったかについては
省略しますが、
ほんとに面白かったから、
是非皆さん観てください。
信じすぎないようにしています。
身の回りに信じすぎて
新しいものを
取り込めない人が
たくさんいるからです。
これは、
見た感じ、
新しいことを
取り入れてる風の人でも、
いつのまにか陥っている
落とし穴です。
自分の感覚を信じすぎると、
自分フィルターが
分厚く分厚くなってしまい、
せっかくの良いもの、美しいものが
ダイレクトに入ってこない。
分厚いフィルターによって、
自分仕様に仕上がってからしか
入ってこないので、
素材本来の旨みを
咀嚼することができないのです。
そうなってはいけませんから、
全く自信が無いというのも
考えものですが、
常にひょっとして自分は
感覚が鈍なんではないか、
ということを
問い続けていないといけません。
そんなことを考えるので、
何かアートに触れるとき、
私は自分フィルターに
なるべく通さないことを
心がけております。
例えば映画を観る場合には、
自分が観たいと思う映画を
観に行ってはいけません。
選ぶ際にすでに、
自分フィルターが
かかってしまいますから、
そこで私が実践しているのが、
「何曜日何時に
上映してる作品を観る」と
決めることです。
こうすれば、
思いがけない、
自分では観ようと思わないけど、
観てみたら、
めちゃくちゃ面白かった!
という作品に出会えるものです。
前置きが長くなりましたが、
そうやってして見た
「今宵、212号室で」という映画が
ほんとにめっちゃくちゃに
面白かったので、
自分のこのやり方を
これからも信じていこうと
思いました。
前置きが長くなりすぎたので、
どんな風に面白かったかについては
省略しますが、
ほんとに面白かったから、
是非皆さん観てください。