お願いフルーツ「その他」

愛国者に気をつけろ!鈴木邦男

愛国者に気をつけろ!鈴木邦男
鈴木邦男さんのことを
私全く知らなくて、
チラシだけ見て、
これはなかなかヤバいやつや、
と思いながらも、
それでも自分は、
自分のセンスで
観る映画を決めるのではなく、
あくまで巡り合わせに委ねて
映画を観たいと思っているので、
今回も日曜お昼の時間帯に
京都シネマで上映される作品を
観るという「しばり」のもと、
これを観たわけです。

こういう作品に巡り合えるから
この「しばり」はやめられません。
普段の自分なら、
絶対に観ないものに触れられる。

観終わってから感じたのは
この鈴木さんという方も、
そういう生き方を
されているのかもしれない、
ということです。

右とか左とか、
そういう思想の違いやら、
宗教の違いやら、
世代や性別の違いやら、
人はみんな違うものですが、
違うからといって、
排除してよいわけがないんです。

ところが、
我々はいとも簡単に
その排除を
選択してしまっています。
極論すれば、
(あくまで極論ですが)
観たくない作品を観ないのは
観たくない作品の排除でしょう。

観たくなかろうが、
観たかろうが、
巡り合ったものに自分を
委ねたうえで、
善し悪しや合う合わないを
判断できればいいですよね。

インターネットでは、
特に排除が
容易くできてしまいます。
嫌いだったり
合わなかったりするものは
簡単にブロックしてしまえるから
自分にとって
気持ちのいい話題や情報しか
入ってこなくなり、
自分という殻を厚く硬く、
作り込んでしまいがちになり、
そういう自分を
受け入れてくれる者同士でのみ、
手を繋ぎ共感の輪を広げ、
その輪の外にいる者は
全力で排除することで、
輪の中の共感を濃密にする、
という行為が盛んです。

映画の序盤で蓮池透さんが、
現政権は、
受け入れられない考えの持ち主を
排除しかしない。
話し合うということをしない。
と嘆いていますが、
まさに我々が、
そういう世界、そういう時代を
生きているのではないかと
思わされます。

それならば、
そういう政治がまかり通るのは
民意でしかないではないかと
思いましたが、
結局、なんか涌井が、
ヤバそうな映画を観たという、
ただそれだけで終わるか、
もしくは、
やたらこっち方面に詳しい人が
聞いてもない、
鈴木邦男とはなんたるか、とか、
こういう映画の見方はどうだ、
とか、そういうことを
押しつけながら、
マウントをとってくるか、
いずれかでしょう。

そうしたマウンティングおじさんに
対してでさえ、
話を聞く耳を持たなければ、
私の達した答えに
矛盾が生まれてしまうのが、
目下、私にとって
辛いことなのです。
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