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桑原町の謎

桑原町の謎
京都には「居住者ゼロ」
という町がいくつか存在します。 
その一つが中京区の桑原町です。 

桑原町は北側の京都御苑と
南側の京都地方裁判所に
挟まれています。 
想像してみてください。
そうなんです。
これ、丸太町通りの上なんです。

それなりに
交通量のある
丸太町通りの路上に
家を建てられるはずもなく、
いや仮に家が無くとも、
スナフキンのようにして
住むにしても、無理があります。

なぜにこんなところに
町が存在しているのか。
もちろん、
はじめから
誰も住んでいないわけではなく、 
かつては菅原道真の
子孫の桑原家の屋敷が
建っていたそうです。

学問の神様・菅原道真は 
宇多天皇の信任を得て
能力を発揮し、 
醍醐天皇の時、
右大臣にまで昇進しましたが、 
左大臣・藤原時平の讒言により
太宰府に流され、亡くなりました。 
 
道真亡きあと、
京都は洪水や干ばつ、
疫病の流行など災難が続き、 
さらには道真を陥れた
時平は39歳の若さで病死。 
醍醐天皇の子や孫も
次々に亡くなりました。 

そんなある日、
京都は激しい雷雨に襲われ、
甚大な被害が出ましたが、 
道真の子孫が住む
桑原町にだけは
雷が落ちませんでした。 
 
こ、こ、こ、これは・・
道真の怨霊の仕業に違いない! 
 
それからというもの、 
雷が鳴るたび、
人々は「クワバラ、クワバラ」と、 
手を合わせて雷神に祈る
習慣ができたといわれています。 

なお、この
「クワバラ、クワバラ」の
言い伝えは、 
京都の桑原町以外に、
大阪や兵庫などにも 
似たような言い伝えが
残されています。 

ついでながら
私は幽☆遊☆白書に出てくる
桑原に似ているとよく言われ、
かつて、あの老舗ライブハウスの
水島ボスにも「桑原」と
呼ばれていたことがあります。

私のような者をも
爪弾きにしない
懐の深い、
面白いものに対しては
有名無名関係なく
いつでもウェルカムしてる
素敵なライブハウス、
それが磔磔です。
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