お願いフルーツ「その他」

オンライン授業のこと

オンライン授業のこと
近頃は何もかも
オンラインを付けておけば
丸くおさまる感じがあります。
オンライン帰省、オンライン墓参り、
オンライン結婚式
なんかにも驚きますが、
この調子だとそのうち、
オンライン入浴、オンライン洗顔、
オンラインカレー、
オンラインピアスなんかも
登場するのではないでしょうか。

そうした「オンラインもの」
(こう書くと
アダルトビデオの
ジャンルみたいですが・・
あ!そっちのオンラインものも
あったりするんでしょうか)
さきがけといえるのが
オンライン授業でしょう。
普通はそんな言い方はしませんが・・

ゆくゆくは
大学教授が自宅から
オンライン授業を配信して、
それを学生は自宅で受信する・・
というカタチが
定着するのでしょうか。

小学校では オンラインの
交流会を実施したところ、
学校に来にくかった子供が
参加するということもあるそうで、
「学校」や「教室」という
枠組み以外での学びを
望んでいた子供にとっては、
オンライン授業は
学びの「新たな選択肢」に
なりうるのかもしれません。

これは7月11日の京都新聞の記事を
参考にご紹介しているんですが、
いっぽうで、
オンライン授業を語れば語るほど、
現実の学校の存在意義が
問われることにもなります。
実際に顔を合わせ、
表情や息遣いを感じながらでないと
できないこととは果たして何なのか?

ある中学校の教員は休校中、
学習動画を配信しましたが、
学校が再開して
「内容が分かりましたか?」と
聞くと黙ったままの生徒が
いたそうです。
教員いわく「分かっていない子は
分かった」とは言いません。
これを「動画見たでしょ?」では
済まされないと感じました。
やはり「分かりたい」と
思う子には応えたい」
ということです。

オンラインは便利だと思いますが、
便利なものには
何かしら副作用があるものです。
代表格の一つが
プラスチックでしょう。
面と向かってでないと
成り立たないものもあるはずです。
オンラインが
当たり前になってしまうと、
そこには怖さが
あるような気もします。

何が怖いかといえば、
私たちは無くなってみてはじめて
在ったもののありがたみを
実感していますが、
ゆくゆくオンラインが
当たり前になりますと、
もともと「在ったもの」に
敬意を抱くことができません。
存在しないものに
敬意ははらえないものです。
そこでどれだけ、
「在ったもの」のありがたみを
後世に伝えていけるか・・
ということは必ずテーマ
になってくると思うのです。

機材が揃いましたから、
これからはオンラインで
やっちまいましょう。
だってそっちのが楽でしょ?
で終わらせてしまったら、
何年後か何十年後かに
必ずツケがやってきます。
オンラインが当たり前になる前に、
そこのところを私たちが強く認識し、意識する必要があります。

オンライン授業といえば、
詩人の伊藤比呂美さんは
早稲田大学で教鞭をとっていますが、
こちらもやはり、
オンライン授業に
なっているそうです。

そこで伊藤さんは学生たちが
接続にまごついてもいいように、
オンライン授業用のZoomを
授業が始まる
かなり前から開いておき、
授業が始まるまでは
好きな音楽を
かけているそうなんですが、
始める直前は決まった曲に
切り替えているそうです。

その曲というのがAKONのLONELY。
伊藤さんいわく、この曲は
いまの伊藤さんのテーマ曲で、
学生一人一人の
テーマ曲かもしれないとしています。

I’m so Lonely
I have nobody for my own
(すごくさびしい、ひとりぼっちだ) という歌詞が、
学生たちの耳に
入ればいいと思っている・・
ということです。

この話を聞いてから、
改めてAKONのLONELYを
聴いてみましたが、
胸にしみわたりました。
こういう気持ちも、
オンラインしか知らなくなれば、
抱けなかったりするのだとすれば、
すごくさびしい。

さすがにそんな時代は
来ないと思いますが、
来てしまわないように、
努めておかないと
いけないようにも思うのです。
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