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映画『野火』

映画『野火』
8月は前の戦のことを思い出します。
京都では前の戦といえば
応仁の乱のことをいう、
などといわれますが、
京都も西陣や馬町が
空襲に遭っています。
そういった歴史上の事実が、
ぼんやりしてしまう気がして、
「前の戦は応仁の乱」
というのが私は
あまり好きではありません。

特に京都の人が言うならともかく、
京都の外の人たちが、
面白がって豆知識を
披露するかのように、
そうした話をするのは
実に京都的でないといいますか、
なんといいますか、
まぁ、私も京都の人では
ないのですけれど、
同じ京都外の人間として、
そういったことを
ニヤニヤしながら話す人は、
下品に見えてしまうのです。

ボロは着てても
心は錦という言葉がありますが、
オシャレに使えるお金に
限りがある分、
そういうところの「錦」は
大事にしていたい。

大岡昇平の『野火』を読み、
暗くなったところに、
京都シネマで映画の『野火』が
上映されるとのことで、
これは暗くなりきってしまえ、
一度ちゃんと「前の戦」のことを
考えてみやがれ!と
天から告げられたような
気がして観に行きましたが、
気持ち悪すぎてすぐにでも
劇場から外へ
出てしまいたいという気持ちと、
これだけリアリティのある
映像が作れるってすごいな、
という冷めた目で
観ている自分とがいて驚きました。

上官の命令は絶対で理不尽を
受け入れなければならない兵士の姿は
観るに耐えない
残酷なものでありましたが、
世の中のブラック企業というものは、
程度の差こそあれ
似たようなものでしょう。
ブラックとまで言わなくても、
立場の上の人が立場の下の人に、
無理を強いる構図というのは、
どこの社会にも
存在するのではないでしょうか。

戦後70年の年に
制作されたこの映画は、
戦争の悲惨さを体験した人たちが、
年々少なくなっていくなかで、
まさに「ギリギリのタイミング」で
作られたものです。
戦地に赴き、
戦後を生きた人たちは
いよいよ残り少なくなり、
ご存命の方も高齢であり、
それどころか、
幼少の頃に戦を経験した人々も、
すでに高齢、もう八十代です。
そうしたなかで、
戦争を悲惨で残酷で惨たらしく
人としての尊厳を
これでもかというほどに
ぐしゃぐしゃに
潰されてしまうものなのだ
ということを
表現するには綺麗に
まとめる必要はないし、
美しく表現する理由もないのです。

『野火』はまさに、
そこを正しく描いている
作品だと思います。
戦争を二度と
起こしてはならないという覚悟は、
こういう作品を観ることでこそ、
育まれていくのでしょう。
戦争は綺麗じゃない。美しくない。

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