お願いフルーツ「その他」

用心深すぎる徳川家康

用心深すぎる徳川家康
最近気づいたことですが、
私、昔から織田信長に対して、
あまりポジティブなイメージがなく、
どちらかというと、
豊臣秀吉のほうに
共感するんですよね。

それは鳴かないホトトギスを
殺してしまう残虐さが嫌いで、
鳴かせてみせよう・・という
知的なところが
好きなんだと思っていたのですが
ひょっとすると、
湖北・小谷城主の
浅井長政を討ったのが
信長だから
信長が嫌いなのかもしれません。

そういうところでいくと、
徳川家康はどっちでもいいというか、
鳴くまで待つというのも、
呑気さが武将っぽくないから、
嫌いとまではいかずとも
好きでもないし、
江戸幕府を開いた人だといっても、
あんまり滋賀にも
関係ないしな~などと、
思っていたのですが、
そんな家康のことを
思わず好きになってしまう
エピソードが
読売新聞に掲載されていました。

何月何日か忘れましたが、
日本史家の磯田道史さんが
書いていた記事です。
家康は非常に
用心深い人物だったらしく、
例えば、城についていうと、
ただ難攻不落のお城を
作ればいいというものではなく、
家康は逆に
「お城は敵に取られるもの」だと
考えていた節があったそうです。

とにかく用心深く、
織田信長のように手薄な本能寺に
泊まって命を落とすのはイヤ!
と考え、天下分け目の
関ヶ原の合戦に勝利すると、
京都に宿泊用のお城を
築かせはじめました。
それが二条城です。

ところが・・
完成した二条城をみて
家康は「大きすぎる!」と
怒りました。
やや事実かどうか
怪しいらしいのですが、
こんなことを言ったそうです。

家康は、
自分が京都に‪5日から7日‬ほど
滞在するとき、
たいした敵でなければ、
二間半(4m55cm)の
堀さえあれば防ぎやすい。
一両日もすれば
近くの味方が集まってくるだろう。
十日耐えれば
関東の大軍もやってくるだろう。
そうなれば敵は踏みとどまれない。
‪3日から5日ほどを‬
‪守りぬけばよいのだから、‬
たいした堀はなくともよい。
あまり堅固にすると、
取られたときに
取り返すのが難しいだろう。
敵は城が堅いと敗れるまで
立て籠もってしまうものだぞ。
それを考えずに
こんな大きなお城を造るのは
思慮が足りん!

というようなことを
家臣の本田忠勝に
言ったんだそうです。
この用心深さが
天下を取らせたのでしょうか。
守るための城なのに、
攻めるときのことを
考えてたわけですから、
誰もこの人には
かなわない気がしますよね。

ジョジョの奇妙な冒険の第4部で、
広瀬康一をやっつけることを
考えていた山岸由加子に対して、
広瀬康一がすでに
山岸由加子を助けることを
考えていた場面を思い出しました。

家康に恋しちゃいそうです。

そんなI LOVE♥IEYASU、
オレの家康は
薬マニアでもありました。
これも用心深さからでしょうか。

8月19日の「産経新聞」によると、
暑さ対策もばっちりだったそうで、
炎天下の出陣の際には
「御笠間薬」と呼ばれたお薬を
笠の裏にしのばせて、
暑気あたりに備えていました。
「御笠間薬」というのは、
現代の熱中症とされる
暑気あたり除けのお薬です。
余談ですが、
家康が医薬に興味をもち、
健康マニアで医学通だったことも、
江戸時代に医学・薬学が
発展していった
大きな要因だったようです。

ほかにも家康は 
戦の際の戦場食として
八丁味噌をもっていき、
塩分補給も怠らず、
さらには 普段から
食べ物には必ず火を通し、
生水を決して
飲まなかったといいます。
また、晩年まで「鷹狩」に
興じて体力づくりにも励みました。
その甲斐あってか、
家康は戦国大名としては異例の
75歳という長寿を得ました。

I LOVE♥IEYASUに見習って、
私もちゃんと体を動かしておかないと
あかんあかんと思いながら、
億劫で動けないから、
オレみたいなもんは
天下を取れないんでしょうね。

体を動かしさえすれば、
天下が取れるかのような
言いぐさをしてしまいました。
こういう言い訳に仕方をする大人、
いますよね~。
カッコ悪いですよね~。
自覚があるだけ
マシということにしておこう。

ところで、
どうして私は
秀吉に好感を抱いているのでしょう。
そこのところも、
調べてみると、
やっぱり湖北に優しかったから
なのかもしれないなー。
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