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秋雨と紙の通帳と

秋雨と紙の通帳と
9月9日の「北海道新聞」の
コラムに「秋雨」という
言葉について書かれていました。

秋に降る雨のことを
秋雨といいますが、
秋雨という言葉は
春雨に対するものとして、
江戸時代の中頃に登場したそうです。
国語学者の金田一春彦さんによれば、
当時はこの秋雨という言葉は、
日本語の乱れだとして
歓迎しない向きもあったそうです。
それでも、木の葉を濡らす雨音や
湖面の水紋が目に浮かぶような
風情のあるこの言葉は
多くの俳人や歌人に愛され、
石川啄木や芥川龍之介も
秋雨を詠んだ歌を残しています。

●ふがひなき わが日の本の女等を
秋雨の夜にののしりしかな(啄木)

●秋雨や 大極殿の 雨の漏(芥川)

いまや当たり前に使われている
言葉のなかにも、
生まれた頃には歓迎されなかった
言葉もあるのですね。
そうして定着していくものもあれば、
なくなっていくものもあります。

こちらはゆくゆくは
無くなっていくのかもしれません。
というのは「紙の通帳」の話しです。

9月2日の「朝日新聞」や、
9月4日の「西日本新聞」のコラムが、
この紙の通帳について
取り上げていました。

みずほ銀行が来年から
新規口座で紙の通帳を作る際、
手数料を税込み1100円
取ることになりました。
スマートフォンやパソコンで
出入金を管理する
「デジタル通帳」に移行して
経費の削減を図るということです。

エッセイストの阿川佐和子さんは
銀行での通帳記入が趣味。
かつて父親から「誰のおかげで
けっこうな暮らしが
できると思っているのだ」
と言われた悔しさが
背景にあるそうです。

いっぽう、
作家の中島らもさんによると、
お金を銀行に「預ける」という
言い方は間違いで、
あれは本来われわれが
「貸してやってる」んだそうで、
銀行はそれをまた貸しして
利ザヤを稼ぐんだから、
「‪9時から午後3時まで‬に
取りにこないとお金は返しません。
というのは無礼な話で
借りている側が
カステラの一つも下げて
返しにくるべきです」と
話しています。

紙かデータか。
これは0か100かというものではなく、
紙には紙の良さがあり、
データにはデータの
良さがあるでしょう。
とはいえ、
紙派はかなり「感情」で
ものをいいますので、
「理屈」で迫ってくるデータ派には
どうにも押され気味な気もしますが。

いずれにせよ、
紙の通帳に限らず、
無くなってはじめて
大切さに気づくということも、
人生にはいくらでも
あるように思います。

「山陰中央新報」に掲載されていた
ある中国人留学生の思いに
考えさせられました。
新型コロナウイルスの
感染拡大によって、
オンライン授業を
余儀なくされるなか、
その中国人留学生は
「かつて、私たちは大切な人と
面と向かいながら、
スマホをいじったりしていた。
目を合わせて笑い合えることが、
どれだけ貴重だったか思い知った」
と話しています。
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