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スマホ首と世阿弥

スマホ首と世阿弥
9月23日の「山陰中央新報」で、
「スマホ首」という言葉を見つけました。
スマートフォンを見るのに
顔を下に向けたままでいると、
首に大きな負担がかかり、
「スマホ首」と呼ばれる状態に
なりかねないそうです。
これを予防するには
姿勢に注意をするのはもちろん、
体幹を鍛え直す必要がありますが、
室町時代の能役者 世阿弥の言葉に
目前心後というものがあります。

前を見る(目前)だけでなく、
後ろ姿にも心を配る(心後)ように
という舞いの心得です。
これの応用で、背中の後ろに
意識を持っていくようにすると、
自然に姿勢が改まるかもしれません。
自分の後ろ姿を意識することは
自分を客観視することにも繋がりますね。

世阿弥の言葉については
8月25日の「福井新聞」にも
掲載されていました。
おそらく世阿弥の言葉で
一番有名な言葉ではないでしょうか。
「初心忘るべからず」。
有名すぎて世阿弥の言葉だということを
知らない人も多いかもしれません。

この言葉は、
人間は物事に慣れると慢心しがちですが、
最初の頃の志を忘れてはならないという
戒めとして知られていますが、
実はそれだけではありません。

「初心」には3段階の「初心」があり、
●まず、若い頃は失敗や成功を糧に
技能を高める「初心」、
●経験を積んだ壮年期には
新しい領域に挑戦するための「初心」、
●そして年を取っても完成ではなく、
芸の向上を目指す「初心」。

求めるべきレベルは違っても、
その時々において、
初めて取り組むことに変わりはありません。
初心とは一生続くものなのだから、
初々しい気持ちや、
自分の未熟さを常に心に刻み、
精進に励みなさい・・
と世阿弥は説いています。

資本主義の父といわれる渋沢栄一は、
91歳で他界するまでに
起こした会社は数知れませんが、
この方は「四十、五十は洟垂れ小僧、
六十、七十は働き盛り、
九十になって迎えが来たら、
百まで待てと追い返せ」と
語ったとされますが、
この言葉も世阿弥の
「初心忘るべからず」に
通じるものがあるような気もします。

夏目漱石の『こころ』で先生が言う
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
というのも、もとを辿れば
世阿弥に行き着く気がします。

時代とともに
あらわれる新語も面白いですが、
時代を経て醸成されていく言葉も
実に味わい深いものです。
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