お願いフルーツ「その他」

感性はプルンプルンにしておきたい

感性はプルンプルンにしておきたい
哲学者の鷲田清一さんと
作家の高橋源一郎さんが、
大学の授業で一緒に登壇されたときの
学生とのやり取りを読みまして、
これがアホみたいに面白かったのですが、
そこで鷲田さんが、
バーナード・ショーの言葉を
紹介していました。

「何かを学びましたな、
でもそれは最初は
何か失ったような気がするもんです」

これは金言です。
自分が感じていたことを
もうお亡くなりになって
ずいぶん経つ方が、
実にわかりやすく言葉にして
残されていたことに感激しました。

私は四十歳になり、
身の回りにもやはり、
齢の近い人が多いのですが、
自らの感性に自信を持っておられる方ほど、
「失う学び」をしなくなっています。

失うのではなく、
得る学びしかしないのです。

得る学びは、
すごく実りがあるように思えますが、
反面、それまでの自分の感性の
確認作業にしか過ぎません。
ほら、やっぱり俺の感性って、
さすがだね。で終わり。

自分のフィルターに引っかかるものだけを
選んで、
予想通りの感性を手に入れて、
満足することは、
実に楽しいことだし、
それ自体を否定するものでは
全くないのですが、
それが果たして学びなのかといえば、
そうではない。

学びを終えてしまっているくせに、
インプットしたことを
偉そうにこちらに
アウトプットされてもなぁ、、、。
という感じの、
「俺、面白いでしょ?」な人、
たくさんいますよね。
うんざりしますよね。

失わない学びではなくて、
積極的に失っていって、
そこから建て直していくという作業が
年々めんどくさくなっていくのは
四十年生きていると、
実感としてわかるのですが、
そこに居座ってしまうと、
感性が固まってしまいます。
いつもプルンプルンに揺らしていないと、
魅力的な感性って
持続できないものなのです。

自分の感性が魅力的なのかといえば、
決してそんなことはないし、
正直なところ、
あの人やあの人の
固まってしまった感性のほうが、
私のプルンプルンよりも、
いくぶん磨かれてはいると思うのですが、
それゆえにすごくもったいないし、
そんかカチカチの感性を
偉そうに披露してくるんじゃないよ、
とも思うのです。

ブルーハーツの「情熱の薔薇」に
「見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部、
でたらめだったら面白い」っていう
一節がありますが、
あれは、そういうことを
歌ってるんじゃないかな。
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