お願いフルーツ「その他」
文学は役に立たないのか
高校生の頃だったと思う。
いつだったかは忘れたが、
5つ上の兄が私に、
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
という夏目漱石の『こころ』に出てくる
言葉を教えてくれた。
それってどういう意味なの?と聞かれたら、
いまだに正しく答えることはできないが、
自分なりの解釈をするなら、
一所に居座り、学びを忘れ、
自分の知っている世界に
満足するようなことは
馬鹿のやることだということか。
私の場合、この言葉を
夏目漱石からではなく、
兄から教わったので、
兄の名言なのだが、
なんにせよ、出どころは『こころ』だ。
文学に気づかされた真実は、
他にもいくらでもあるだろう。
9月23日の「福井新聞」に
フランス文学者で評論家でもあった
桑原武夫の言葉が引用されていた。
『文学入門』という著書の冒頭で、
「文学は、はたして人生に
必要なものであろうか?」
と書いているそうだ。
桑原武夫が母校の京都大学で
教授をしていた頃、
1950年に出版されたものなので、
この問いかけは学生を
相手にしたものだとみられるらしい。
桑原武夫いわく、
文学は戦時中には贅沢といわれ、
敗戦まで必要性を認められなかった。
いっぽうで、「人生をより充実するには
文学以上に必要なものはない」
とも説いている。
そこまで言われると、
私も文学以上に必要なものくらい、
いくらでもあると思ってしまうのだが、
同じくらい、文学によって、
必要なものに
気づかされたこともある気がする。
同じく「福井新聞」の
10月6日のコラムには、
ペルーの小説家バルガス・リョサの
エピソードが掲載されていた。
バルガス・リョサは、
ノーベル文学賞を受賞した偉大な作家だが、
日本では驚くほど名が知られていない。
この書き方だと、
私はさもバルガス・リョサのことを
以前から知っていたかのようだが、
もちろん私もリョサを知らなかった。
リョサと呼ぶべきか、
バルガスと呼ぶべきかも知らない。
気持ちいいのでリョサと呼ぶことにする。
リョサは政治活動にも積極的に関わり、
ペルー大統領選の決選投票で、
アルベルト・フジモリに敗れた経験をもつ。
負けたんかい!
リョサが、
かつて国家の検閲について語っている。
最初の長編小説『都会と犬ども』では、
「大佐は鯨のような腹をしていた」
という表現について、
政府から「軍の高官と組織を
バカにしている」とクレームが入り、
同じ鯨を意味する別の言葉に書き換えたら
「響きが控え目」なため、
許可されたそうだ。
このほかにも、
検閲や発禁処分などを受けたことから、
リョサは「民主主義の下では、
誰も小説や詩が危険で反体制である
などとは考えないが、良い小説を読むと、
私たちは現実の世界にとても批判的になる。
ゆえに独裁体制では
文学の危険性に不信感を抱くのだ」と
話している。
桑原武夫の言葉もリョサの言葉も、
どちらも大変興味深い。
やはり文学はいろんなことを教えてくれる。
いや、これは新聞のコラムを
読んだのだから、
新聞がいろんなことを
教えてくれるということなのか、
それとも新聞も文学なのか。
謙虚に生きていれば、
世界は全て文学になる。
いつだったかは忘れたが、
5つ上の兄が私に、
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
という夏目漱石の『こころ』に出てくる
言葉を教えてくれた。
それってどういう意味なの?と聞かれたら、
いまだに正しく答えることはできないが、
自分なりの解釈をするなら、
一所に居座り、学びを忘れ、
自分の知っている世界に
満足するようなことは
馬鹿のやることだということか。
私の場合、この言葉を
夏目漱石からではなく、
兄から教わったので、
兄の名言なのだが、
なんにせよ、出どころは『こころ』だ。
文学に気づかされた真実は、
他にもいくらでもあるだろう。
9月23日の「福井新聞」に
フランス文学者で評論家でもあった
桑原武夫の言葉が引用されていた。
『文学入門』という著書の冒頭で、
「文学は、はたして人生に
必要なものであろうか?」
と書いているそうだ。
桑原武夫が母校の京都大学で
教授をしていた頃、
1950年に出版されたものなので、
この問いかけは学生を
相手にしたものだとみられるらしい。
桑原武夫いわく、
文学は戦時中には贅沢といわれ、
敗戦まで必要性を認められなかった。
いっぽうで、「人生をより充実するには
文学以上に必要なものはない」
とも説いている。
そこまで言われると、
私も文学以上に必要なものくらい、
いくらでもあると思ってしまうのだが、
同じくらい、文学によって、
必要なものに
気づかされたこともある気がする。
同じく「福井新聞」の
10月6日のコラムには、
ペルーの小説家バルガス・リョサの
エピソードが掲載されていた。
バルガス・リョサは、
ノーベル文学賞を受賞した偉大な作家だが、
日本では驚くほど名が知られていない。
この書き方だと、
私はさもバルガス・リョサのことを
以前から知っていたかのようだが、
もちろん私もリョサを知らなかった。
リョサと呼ぶべきか、
バルガスと呼ぶべきかも知らない。
気持ちいいのでリョサと呼ぶことにする。
リョサは政治活動にも積極的に関わり、
ペルー大統領選の決選投票で、
アルベルト・フジモリに敗れた経験をもつ。
負けたんかい!
リョサが、
かつて国家の検閲について語っている。
最初の長編小説『都会と犬ども』では、
「大佐は鯨のような腹をしていた」
という表現について、
政府から「軍の高官と組織を
バカにしている」とクレームが入り、
同じ鯨を意味する別の言葉に書き換えたら
「響きが控え目」なため、
許可されたそうだ。
このほかにも、
検閲や発禁処分などを受けたことから、
リョサは「民主主義の下では、
誰も小説や詩が危険で反体制である
などとは考えないが、良い小説を読むと、
私たちは現実の世界にとても批判的になる。
ゆえに独裁体制では
文学の危険性に不信感を抱くのだ」と
話している。
桑原武夫の言葉もリョサの言葉も、
どちらも大変興味深い。
やはり文学はいろんなことを教えてくれる。
いや、これは新聞のコラムを
読んだのだから、
新聞がいろんなことを
教えてくれるということなのか、
それとも新聞も文学なのか。
謙虚に生きていれば、
世界は全て文学になる。