お願いフルーツ「その他」
今日から読書週間
今日10月27日から
11月9日までの2週間は「読書週間」。
10月20日「長崎新聞」に
『更級日記』を書いた
菅原孝標女のエピソードが掲載されていた。
菅原孝標女は『更級日記』のなかで、
夢にまで見た『源氏物語』50巻余りを
やっとの思いで手にしたときのことを
「妃の位も何にかはせむ」・・
つまり「皇后の位だって何になろうか」・・
何物にも代えられない喜びを表現している。
さらに引用すると、
「昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、火を近くともして、
これを見るよりほかの事なければ・・」
と書いていることから、
とにかく夢中になって
読みふけっていたことがうかがえる。
私は集中力が持続しない性質なので、
いくら夢中になっても、
一日中読み続けるということは
できないのだが、
それでも菅原孝標女の気持ちはよくわかる。
好きな本を手に入れ、開き、
ページを繰っていくにつれ、
本のことがますます愛おしくなっていく。
これは恋する気持ちにも
似ているように思う。
繰っていくにつれ、冷めていく時が
あるのも恋のようではないか。
しかし、新型コロナウイルスの影響で、
巣ごもりの時間が増え、
読書の時間も増えたというデータもあるが、
近年は総じて
読書量は減少傾向にあるようだ。
意外なところで「最近は本を読まないんだ」と感じたというのが、
漫画家のとり・みきさん。
とり・みきさんは
日本経済新聞夕刊(火曜日)で
コラムを執筆されていて、
面白いので毎週楽しみにしている。
とり・みきさんいわく、
日本のドラマを見ていて
「この部屋、本棚がない」と思うそうだ。
いまのスタジオセットは、
建て込みにしても材質にしても、
細部のこだわりも照明も、
リアリティの度合いは
半端なく高くなっているので、
例えば、いったん登場人物のキャラが
「オタクっぽい人」と設定されれば、
小道具さん、大道具さんも凝りに凝って、
そういう部屋を造り上げるのだが、
残念ながら、そこに
ポイントのない通常のドラマでは、
めったに部屋の中に
めったに本棚は出てこないらしい。
そういうところにポイントを置いて、
ドラマを見たことがなかったので、
その見方に感嘆したのだが、
それにしても面白い。
もう今は本棚のある部屋も
珍しいのだろうか。
ネットで簡単に読めるんだから、
わざわざ棚に本を入れる
必要もないのだろうが、
菅原孝標女のように本を求愛する環境が、
失われてしまったような気がして、
その寂しさと
ネットの便利さの間を揺れているのだ。
11月9日までの2週間は「読書週間」。
10月20日「長崎新聞」に
『更級日記』を書いた
菅原孝標女のエピソードが掲載されていた。
菅原孝標女は『更級日記』のなかで、
夢にまで見た『源氏物語』50巻余りを
やっとの思いで手にしたときのことを
「妃の位も何にかはせむ」・・
つまり「皇后の位だって何になろうか」・・
何物にも代えられない喜びを表現している。
さらに引用すると、
「昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、火を近くともして、
これを見るよりほかの事なければ・・」
と書いていることから、
とにかく夢中になって
読みふけっていたことがうかがえる。
私は集中力が持続しない性質なので、
いくら夢中になっても、
一日中読み続けるということは
できないのだが、
それでも菅原孝標女の気持ちはよくわかる。
好きな本を手に入れ、開き、
ページを繰っていくにつれ、
本のことがますます愛おしくなっていく。
これは恋する気持ちにも
似ているように思う。
繰っていくにつれ、冷めていく時が
あるのも恋のようではないか。
しかし、新型コロナウイルスの影響で、
巣ごもりの時間が増え、
読書の時間も増えたというデータもあるが、
近年は総じて
読書量は減少傾向にあるようだ。
意外なところで「最近は本を読まないんだ」と感じたというのが、
漫画家のとり・みきさん。
とり・みきさんは
日本経済新聞夕刊(火曜日)で
コラムを執筆されていて、
面白いので毎週楽しみにしている。
とり・みきさんいわく、
日本のドラマを見ていて
「この部屋、本棚がない」と思うそうだ。
いまのスタジオセットは、
建て込みにしても材質にしても、
細部のこだわりも照明も、
リアリティの度合いは
半端なく高くなっているので、
例えば、いったん登場人物のキャラが
「オタクっぽい人」と設定されれば、
小道具さん、大道具さんも凝りに凝って、
そういう部屋を造り上げるのだが、
残念ながら、そこに
ポイントのない通常のドラマでは、
めったに部屋の中に
めったに本棚は出てこないらしい。
そういうところにポイントを置いて、
ドラマを見たことがなかったので、
その見方に感嘆したのだが、
それにしても面白い。
もう今は本棚のある部屋も
珍しいのだろうか。
ネットで簡単に読めるんだから、
わざわざ棚に本を入れる
必要もないのだろうが、
菅原孝標女のように本を求愛する環境が、
失われてしまったような気がして、
その寂しさと
ネットの便利さの間を揺れているのだ。