お願いフルーツ「その他」

不惑とは

不惑とは

読書の秋、昨日からは読書週間。
読書をしていると、
意味のわからない言葉や、
知ってるつもりでいたが、
実際どんな意味か知らない言葉に
出会うことがある。
そんなとき、いまはスマートフォンで
ちゃちゃっと検索することもできるが、
辞書を開いてみると、
新しい発見があったりもする。
(いや、スマホ検索で十分事足りるのだが、
いまだに信じきれないところがある)

例えば、
10月8日の「琉球新報」に
「青信号」の「青」は「緑色」なのに、
どうして「青信号」と言うのか
ということが書いていたので、
『広辞苑』の「青」のところを引いてみた。

すると、
【青】の説明の2つ目のところに
「緑色」とある。
つまり、「青」は「緑色」を
意味することもあるのだ。
「緑色」なのに「青信号」と呼ぶのは
当然のことで、
「緑色」だから「青信号」と
呼ぶともいえそうだ。

「琉球新報」によると
日本自動車連盟「JAF」のホームページに
この「青信号」について
掲載されているらしい。
というわけで、「JAF」のホームページを
見てみたら、
「クルマなんでも質問箱」
というところに書いてあった。

なんでも、
かつて自動信号機が
日本で初めて導入された当初は、
法律の中でも「緑信号」と
されていたそうだが、
それが「青」に変わったのは、
緑のものでも「青野菜」というように
日本語では「青」の示す範囲が広いから・・だとか、
色の三原色が「青」だから・・だとか、
そんな解説が載っている。
ちなみにこの解説は
すべて「琉球新報」にも載っていた。

じゃあ、JAFを調べるまでもなく、
「琉球新報」を
引用すればよかったんじゃないか、
といえばそんなことはなく、
しっかりと元を辿ることで、
見えてくるものもあるのだ。
ひょっとすると「琉球新報」が、
事実を捻じ曲げて
伝えている可能性だってある。
そういうところの一手間を
かけられるか、かけられないかで
信用というものは揺らぐのだ。

「だって新聞に書いてたもん!」
などと四十歳にもなった大人が
言ってはいけない。
そういうところは不惑でなければいけない。

四十にして惑わず、「不惑」というのが、
私はあまり好きではなく、
四十なんて、まだまだ世の中に惑いながら、
向上心を忘れずに生きていかねばならないと
常日頃から感じているが、
四十にして惑ってはいけないことも、
あるものなのだ。

むむ、しかし、ここにきて、
私は「惑う」という言葉の意味を
なんとなくで
使ってしまっていることに気が付いた。
『広辞苑』で調べてみよう。

【惑う】
事態を見極められず、
混乱して応対の仕方を定めかねる意。
①見当を失って途方に暮れる。
②悩む。心が乱れる。
③とりちがえる。考えちがいをする。
④うろたえる。あわてる。
⑤髪の毛などが乱れる。
⑥他の動詞の連用形について
その状態がひどい意を表す。

うむ。
やはり、
見当を失って途方に暮れたり、
悩んだり心が乱れたり、
とりちがえたり、考えちがいをしていたり、
うろたえたり、
あわてたりしてはいけない局面が、
四十になると増えるということは
ある気がする。

まぁ、いいや。
とりあえず、髪の毛を
整えることからはじめよう。
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