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コロナ禍という言葉について

コロナ禍という言葉について
近頃よく目にする「コロナ禍」という言葉。
数えていませんが、今日の新聞でも、
鬼滅の刃の上映回数を
越えるほどの数を確認した。

「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で」
などと言っていたものを、
わずか四文字で表現できるのだから、
大変合理的な言葉なのだが、
ラジオで使う際、ためらう言葉でもある。
気にしすぎといわれれば、
それまでなのだが、
どうしても「この中」に
聞こえてしまうのだ。

「この中では帰省はできないですよね~」
「この中の新しい生活様式を
徹底しましょう」
どこの中やねん?と少し考えてから
「ああ、コロナ禍か」と
気づくということがしばしばだ。

便利な言葉なのだが、
こうまで「この中」だと思ってしまう言葉を
安易に使ってもよいのだろうかと考える。
ラジオではアバウトな数字を
伝えるときの「約」を
「百」と聞き間違えやすいため、
使わずに「およそ」を使用している。
「110」と「約10」では大違いだからだ。

そこを注意するのならば、
やはり「コロナ禍」も要注意ワードに
指定すべきだと思うのだが、どうだろう。

「別にええやん」といえば、
その通りなのだが、
そういう細かいところを
大切にしていたからこそ、
ラジオは大切にされていたのではないか?
と考えるにつけ、
「別にええやん」で
済ましてしまうからこそ、
最近ラジオが
聴かれなくなったのではないか、
という風にも考えてしまうのだ。

時代の流れで聴かれなくなったものとして、
語られがちであり、
その側面を否定するものではないが、
言葉一つひとつに対する心構えの不足も、
ラジオ離れの要因の
一つなのではないかとも思う。

そういえば、
中央卸売市場の「市場」は
「しじょう」が正しいのだが、
わかりやすいように「いちば」と読んだり、
期日前投票の「前」を「まえ」と読んだり、
七条を「しちじょう」ではなく
「ななじょう」と読んだり、
ラジオならではの心遣いは
けっこう存在する。

そういった心遣いが行きすぎたのか、
七本松通りのことを
「ななほんまつどおり」と
読ませようとする原稿が届いたことがあり、
さすがに「しちほんまつと
読ませてください」と
お断りしたことがある。

やり過ぎもやらなさ過ぎもよくない。

※なお、「コロナ禍」を
ラジオで使用されている方のことを
否定しているわけでは
ないことを念のため、書いておく。
私の耳が悪いだけという説もある。
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