お願いフルーツ「その他」
鍋料理は人を丸裸にする
10月23日「佐賀新聞」のコラムによると、
エッセイストで小説家の阿川佐和子さんは、
「ボーイフレンドをお家に招くとき、
用意すべき料理は何か」について、
「それは鍋料理だ」と
あるエッセイに書いているそうだ。
鍋料理は共同作業のため、連帯感が生まれ、
2人の距離が近づくし、
相手の性格や好みもわかるという。
例えば、最後のお肉の1枚を断りもなく
奪ってしまう男性は自己中心型、
「君にあげる」という人は思いやりがある、などなど・・
いわく「鍋を囲むと本性が現われる」
そうだ。
確かにその通りである。
鍋奉行はだいたい、
自分の価値観を他人に押し付けがちだし、
人に作らせておきながら
文句ばかり言う人間は
そのままの人間である。
食の好みもわかるし、
食べるペースを人と合わせられるか、
ということも推し量ることができる。
鍋料理はかくも人のことを
理解するのに向いているのだが、
意中の人と鍋料理を二人で食べる場面まで、
持っていくのに苦労する。
鍋料理を二人で食べる仲になる頃には、
お互いのことをだいたい
わかっているような気もする。
むしろ、自分の家に招いて
鍋料理を食べるまで、
相手のことを
よくわかっていないのだとしたら、
そのほうが問題なのではないか。
意中の人を家に招くのだから、
鍋料理をつっついたあとは、
やはり互いに互いを
つっつきあうことになるはずだが、
鍋料理をつっついている時点で、
冷めてしまう
ということがないようにしたい。
かつて「成田離婚」
という言葉が流行ったが、
結婚以前、お付き合いしたての頃には、
「鍋別れ」ということが
けっこうあるのかもしれない。
最近なんか特に
鍋料理を一緒に食べることになったら、
感染症に対する
意識調査だってできてしまう。
マスクなどせずに
自分の口をつけたお箸を
躊躇なくお鍋に入れてしまう人と、
菜箸を使い小皿にとってから
マスクをはずし、
料理を口に入れたら
再びマスクをつける人が、
うまく交際できるとは思えない。
気にしすぎたら
何もできないのかもしれないが、
意中の人に相対するときくらい、
その人に気に入られるよう
振る舞うことは大切だろう。
鍋料理は相手の全てを丸裸にするのだ。
エッセイストで小説家の阿川佐和子さんは、
「ボーイフレンドをお家に招くとき、
用意すべき料理は何か」について、
「それは鍋料理だ」と
あるエッセイに書いているそうだ。
鍋料理は共同作業のため、連帯感が生まれ、
2人の距離が近づくし、
相手の性格や好みもわかるという。
例えば、最後のお肉の1枚を断りもなく
奪ってしまう男性は自己中心型、
「君にあげる」という人は思いやりがある、などなど・・
いわく「鍋を囲むと本性が現われる」
そうだ。
確かにその通りである。
鍋奉行はだいたい、
自分の価値観を他人に押し付けがちだし、
人に作らせておきながら
文句ばかり言う人間は
そのままの人間である。
食の好みもわかるし、
食べるペースを人と合わせられるか、
ということも推し量ることができる。
鍋料理はかくも人のことを
理解するのに向いているのだが、
意中の人と鍋料理を二人で食べる場面まで、
持っていくのに苦労する。
鍋料理を二人で食べる仲になる頃には、
お互いのことをだいたい
わかっているような気もする。
むしろ、自分の家に招いて
鍋料理を食べるまで、
相手のことを
よくわかっていないのだとしたら、
そのほうが問題なのではないか。
意中の人を家に招くのだから、
鍋料理をつっついたあとは、
やはり互いに互いを
つっつきあうことになるはずだが、
鍋料理をつっついている時点で、
冷めてしまう
ということがないようにしたい。
かつて「成田離婚」
という言葉が流行ったが、
結婚以前、お付き合いしたての頃には、
「鍋別れ」ということが
けっこうあるのかもしれない。
最近なんか特に
鍋料理を一緒に食べることになったら、
感染症に対する
意識調査だってできてしまう。
マスクなどせずに
自分の口をつけたお箸を
躊躇なくお鍋に入れてしまう人と、
菜箸を使い小皿にとってから
マスクをはずし、
料理を口に入れたら
再びマスクをつける人が、
うまく交際できるとは思えない。
気にしすぎたら
何もできないのかもしれないが、
意中の人に相対するときくらい、
その人に気に入られるよう
振る舞うことは大切だろう。
鍋料理は相手の全てを丸裸にするのだ。