お願いフルーツ「その他」

チェアリングとイス呑み

チェアリングとイス呑み
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、
三密にならないアウトドアが
人気を集めているそうだが、
テントは張れない、火は熾せない、
そのうえ車は運転できない三無の私には、
縁がないものと思っていたところ、
数日前の朝日新聞の記事で
「チェアリング」なるものを知った。

アウトドア用の折り畳み椅子を持ち歩き、
海辺でも河川敷でも、
人の迷惑にならない好きな場所に置き、
好きなお酒でも飲みながら
ゆっくりとくつろぐという、
遊びのことを指すらしい。
スズキナオさん、パリッコさんという
2人のライターが名付け、世に広めてきた。

記事によると、
哲学者の古田徹也さんは、
「チェアリング」について、
それ以前にも、おそらく同じようなことは
行われてきたんだろうけど、
「チェアリング」という
シャレっ気のある造語とともに、
それを一個の実践として切り出し、
際立たせたということが
肝心なのだとしている。

そのうえで、
「物の新しい見方や
注意の向け方を生み出すことは、
それ自体、重要な「発明」である」と
絶賛しているのだが、
そんな「チェアリング」について、
先日、あるテレビ番組で
紹介されていたそうだ。

ところが、その番組では
「チェアリング」という言葉は
一度も使われず、一貫して
「イス呑み」と呼ばれていたため、
せっかくの粋な遊びが
急に色あせて思えたという。

私は「イス呑み」という言葉に対して、
そこまで色あせるとは感じなかったのだが、
職場の同僚いわく、
「イス呑み」だとお酒を飲むことに
限定されてしまうという。
確かに「チェアリング」という言葉の含む
ファジーな部分が
「イス呑み」では消えてしまっている。

曖昧さを消したために、
よりわかりやすくはなったが
誤解を生むことになっている。
考えてみれば、政治家の皆さんの発言には、
大阪都構想を掲げた府知事や市長を筆頭に、
「わかりやすさ」を優先するあまりに、
大切な要点を排除してしまっている発言が
多いように思う。
「わかりやすさ」の孕む問題点について、
はからずも実感した次第である。
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