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夫婦の呼び方問題

夫婦の呼び方問題
先日、日本経済新聞夕刊に
小説家の小山田浩子さんが
興味深いことを書いていた。
(日経夕刊の『プロムナード』は
毎回かなり面白いのでオススメ。
月:小山田浩子さん、火:とり・みきさん、水:神田茜さん、木:麿赤児さん、
金:佐々木閑さん、
土:北大路公子さんだったはず)

小山田さんのコラムによると、
なんでもご自身、10年前に
自分が書いたエッセー的な文章を
読み返していたら、夫のことを
「主人」と書いていて仰天したそうだ。
いまなら「主人」とは言わないし、
当時も夫のことは
「夫」と称していたはず・・
小山田さんは当時、人に、
「小山田さんって旦那さんのことを
夫で呼ぶんですね」と
不思議そうに言われた
鮮明な記憶があるという。
(当時、周りの20代~30代の女性は
配偶者を「旦那」と呼ぶのが
多数派だったとか)

同じく小説家の川上美映子さんの
言葉についても書いていて、
川上さんは2017年1月の記事で、
「配偶者のことを主人や旦那と呼ぶ、
呼ばれるのが嫌だ、おかしい」
ということを書いていたらしい。
それから3年9か月が経ち、日本でも
フェミニズムが話題となり、
明白なジェンダー差別の問題点だけでなく、
誰もが無意識に内面化している
差別の根深さも
明るみに出るようになったものの、
それでも「小山田さんのご主人は」
などと言う人は依然、多いそうだ。

小山田さんいわく、
主人と呼ぶ人呼ばれる人の
2人1組がいる場合、
そこには主従関係が発生する。
私は配偶者に対し、
「従」だと思う人であれば、
自分の配偶者を主人と呼ぶのは
当然なのかもしれないし、
ただの慣習と言われたらそうなのだろうが、
少なくとも、自分ではない、
よその2人1組に対して、
あなたが「従」でもう1人が
「主」だと断言するのは
失礼だと書いている。

この配偶者の呼び方問題は最近、
よく話題に上る気がする。
数年前から関西系のお笑い芸人が、
ご自身の配偶者のことを
「嫁」と呼ぶことについて、
問題視する声をよく耳にするようになった。
「嫁」だと、
「息子の配偶者」のことになるからだ。
ところが、「嫁」と呼び慣れていると、
本来正しいはずの「妻」という呼び方が、
存外恥ずかしい。

私の妻が・・
と発するとき、
きっと相手は別に
気にも留めていないんだろうけど、
「ああ、この人、前まで
嫁って言ってたくせに、
最近、嫁が間違いだって聞いたから
妻って呼ぶようにしたのね」
などと思われているような気がして
恥ずかしい。
どっちが本来恥ずかしいのかといえば、
「嫁」と呼んでるほうが
絶対に恥ずかしいはずなのに。

「妻」という言葉が、
自分にフィットしきれていないことも
あるかもしれない。
「妻」というたびに、
なんとなく歯が浮いている気がするのだ。
使い続けていれば、
その浮いた感じもなくなるのだろうか。

ちょうど普段着慣れていないスーツを
冠婚葬祭の際に着たら、
着させられている感じになるのと似ている。
相手に「ああ、使い慣れてない言葉を
無理して使ってる」と
思われている気がするのも、
恥じらいに繋がっているのかもしれない。

自分が「主人」あるいは
「旦那」と呼ばれることについては、
これはこれで恥ずかしさがある。
分不相応というか、
どう考えても私は涌井家において、
「主人」でも「旦那」でもないからだ。
なにせ保育園年長の次男にさえ
「おまえ」と呼ばれるほどだ。
犬を飼っていれば間違いなく、
私を涌井家の序列では
一番下とみなすだろう。
結婚したての頃に妻が
(こう書くのも少し恥ずかしい)、
私のことを対外的に
「うちの主人が」と言ったのを
聞いたときも恥じらいがあった。
ただ、新婚だったため、
「お~、しゅ、しゅ、主人か~」という、
なんとなく恍惚があったような気もするが、
いまなら逆に
馬鹿にされているように思うだろう。

夫婦に主従関係などない。
いまは過渡期で、
ちょうどよい言葉が存在しないが、
小山田さんがいまは「おつれあい」
という言い方を使っていると書いていた。
こうした言い方が標準となり、
やがて、誰もが照れずにストンと落ちる
配偶者の呼び方が定まってくる頃には、
男女平等ランキングの順位も
上がっているだろう。
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