お願いフルーツ「その他」

時代のせいではない

時代のせいではない
季節は 冬へ移ろっている。
一年を四つに分けたのが四季。
四季のそれぞれの季節を六つに分け、
二十四個に区切ったものが二十四節気、
二十四節気をさらに三つずつ分けて
全部で七十二個に区切ったものが七十二候。

いまは二十四節気が小雪、
七十二候は虹蔵不見(にじかくれてみえず)。
虹が見られなくなる頃らしい。

「らしい」と書いたように、
すっかり季節感を失ってしまった
現代人の私にとっては、
正直、ぴんとこないものも
七十二候には多いのだが、
それはさておき、
七十二候は虹蔵不見のように、
植物や動物、空模様などの変化を知らせる
短い文章になっている。

例えば、12月11日からは
熊が冬眠に入る頃・・
という意味の熊蟄穴(くま・あなにこもる)。
ほかにも、冬を暖かい南国で過ごした
ツバメが日本にやってくる
4月上旬の「玄鳥至(つばめきたる)」と、
越冬のため、ツバメが日本を去る
9月半ばの「玄鳥去(つばめさる)」のように
対になっているものもある。

もともと七十二候は
古代中国にあったもので、
そちらには
キジが海に入って大ハマグリになる頃とか、
鷹が鳩に姿を変える頃
といったものもあるが、
近世にできた日本の現代の七十二候では
6月の腐った草が蛍になる頃
という意味の
腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)
以外は、
すべて実際の自然の変化を記している。
昔から鳥や虫は私たちに
季節の移ろいを知らせてくれた。

以上のような導入で、
気象庁が生物季節観測の大部分を
廃止することについて
取り上げる新聞コラムがここ一週間ほど、
めちゃくちゃ多かった。
季節の話題を取り上げる機会も多い
新聞コラムニストにとって
ネタ元がなくなるわけだから、
大事件なのである。

ものすごく大切なものが
無くなるように書いてあるけど、
それは実際に無いと困る職種だから
大切に思えているだけで、
そうでなければ、さほど
気になるものでもないのかもしれない。
という視点に立つことも大事だと思う。
※ちなみに私は新聞コラムニストが、
そういう視点を大事にしていないと
言っているのではない。

僕の大事にしているものは、
君も大事だよな・・という態度では、
いずれ誰からも話を聞いてもらえなくなる。
せめてそれでも聞かせる話術なり、
読ませる筆力なりがあればよいが、
困ったことに頼るものが
己の地位や権威のみという人間ほど、
「僕」の大事にしているものしか
大事にしない。

そういう人間が上にいると、
残念ながらその社会が
停滞ないし後退してしまう。
斜陽などと呼ばれている業界は、
時代ではなく、そういう人間のせいで、
斜陽になっていたりする場合がある・・
というのを、
私は最近、身をもって感じている。

時代のせいにしてる人間のせいである。
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