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当たり前は変わる

当たり前は変わる
気象庁が鳥や虫たちの観測を
廃止にすることについて、
少し前に書いたが、
気象庁の変化はそれだけではない。
最近は、初雪の観測などを
「自動観測」に変更している
気象台が増えているらしい。

11月10日の「東奥日報」コラムによると、
従来は 職員さんが
雪またはミゾレが降っているのを
目視で確認するのが一般的だったが、
自動化の波がきているようだ。

部外者からすると、
なんとも味気ないようにも思うが、
職員さんはひょっとすると
肩の荷が下りた気がしているかもしれない。
雪やミゾレが降っていることを
目視で確認することは、
想像以上に苦労も多いような気がする。

とはいえ、青森では
自動観測にミスがあったらしく、
後日、訂正をしたらしい。
ミスを確認するのは人である。
どれだけ自動化がすすんでも
人間の目、感覚、
判断の大切さは変わらない。
いや、そこが大切になるがゆえに、
より目や感覚、判断力を養う
必要が出てくる。

ところで変化といえば、
11月17日の「山陽新聞」コラムで
知ったのだが、
アメリカ・アップル社が
新しい絵文字の配信と同時に、
「マスク着用の顔」を
従来の「つらそうな表情」から
「微笑んでいる顔」に変えたそうだ。

いまや、つらいから
マスクをするわけではなく、
マスクは日常になった。
口は普段隠すものになったから、
ひょっとすると、そう遠くない未来、
口をさらけ出すことは
恥ずかしいことになっているかもしれない。
そうすると、マスクは
恥ずかしいものを覆う
最後の砦の扱いになり、
それだけでは心もとないから、
マスクの上にさらに一枚、
スカートのようなものを
巻く必要が出てくるかもしれない。

そんなアホなと思うかもしれないが、
しかし、いま私たちは、
一年前には考えもしなかった
そんなアホな生活様式を
常識として生きている。
一年前にはアホな生活様式だったことを
守らないと自粛警察に
攻撃されるというようなことが、
当然のように世の中に溢れている。

当たり前は揺れ動くのだ。

私たちは揺れ動く当たり前に
柔軟でなければならない。
固い芯は真ん中に小さいものを
持っておけばよい。
周辺は変幻自在で、
ふらふらしているくらいのほうが、
今の時代を生きるには
ちょうどよいような気がしている。
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