お願いフルーツ「その他」

地方紙を読む男

地方紙を読む男
11月17日の「熊本日日新聞」のコラムで、
熊本県立美術館で開催中の展覧会
『よみがえった名宝 修復された
細川コレクション展』のことが
紹介されていた。

熊本の展覧会に行く機会は
残念ながら私には無いが、
だからといって、
この情報が私にとって無益なのかといえば、
決してそんなことはない。
「熊本で展覧会が開催されている」という
情報を手にしたこと、ただそれだけでも、
私の人生は熊本で
展覧会が開催されていることを
知らなかった頃よりも
豊かになっているのだ。
その事実を誰にだって
無益だなどと言われたくはない。

こういうその地方の催しや
季節の出来事などに
触れられるのも地方紙の魅力であり、
その魅力はラジオにも通じるものだと思う。

さて、
熊本県立美術館は、
永青文庫に関する常設展示を行っている。
永青文庫というのは
東京にある日本や東洋の古美術を
中心としたミュージアムで、
旧熊本藩・藩主の細川家伝来の美術品、
歴史資料などを収蔵している。

↑少し話が逸れるが、この文章、
文字の媒体の人なら、たぶん、
一文にまとめるんじゃないかな。
「熊本県立美術館は、
東京にある日本や東洋の古美術を中心に、
旧熊本藩・藩主の細川家伝来の美術品、
歴史資料などを収蔵する
ミュージアム永青文庫の
常設展示を行っている。」

↑これで問題はない。
しかし、ラジオでは問題になる。
耳で聴くには一文が長いし、
「熊本県立美術館は東京にある」
まで聴くと、
「え!?熊本県立なのに東京にあるの?」
となってしまう。

日本語は最後に述語が来るから、
最後まで結論がわからないというが、
ラジオ用の原稿を作っていると
それがよくわかる。

しかし、残念ながら、
ラジオ業界に身を置いて長い人でさえ、
この程度のことを
理解していないことがある。
ラジオの長所短所を
把握していないのである。
何度も書いている気がするが、
ラジオ業界が斜陽と呼ばれるのは
時代のせいではなく、
そういう人間のせいである。

ということを話の腰を折ってまでも、
どうしても書いておきたかった。
すみません。

話を戻そう。
熊本県立美術館では、平成20年3月に、
永青文庫の常設展示の充実を図り、
文化の振興を図ることを目的に、
熊本県内の企業などからの寄附によって、
永青文庫常設展示振興基金を設立。
この基金を活用して、
永青文庫の所蔵品の調査や
修復を実施している。
永青文庫から熊本県に寄託された
所蔵品のなかには、
細川家が代々保管する間に
経年劣化したものもあり、
美術館が基金を充てて調査・修復してきた。

今回の展覧会では この10年余りで蘇った
桃山時代から江戸時代にかけての絵画や
細川家伝来の鎧が並んでいる。
なかには絵の具の載った
表面の和紙一枚だけを残して、
修復し、表装し直した絵もあるそうだ。
こうした日本画の修復では和紙を
剥ぐなどの繊細なプロセスが欠かせず、
まさに「薄紙を剥ぐように」という
例えの通りなんだそうだ。

美術館・博物館は展示ばかりに
目がいきがちだが、
展示する前に保護しておかないといけない。
これも大きな仕事なのだ。
去年の首里城焼失はじめ、
災害による文化財の消失、
損傷の事例は多いが、
絵画にしろ、オブジェにしろ、
心のよりどころになったり、
文化を象徴するものだったり、
異文化交流の印だったりする。
そうやって深く意味を求めずとも、
なんか響くものだったりするものが、
しっかりと保護され、
未来に受け継がれていく
体制が整ってるって
すごく大事なことなんじゃないかと
最近強く思う。

そして体制を整えるのは人間なのだ。
人間の意識を整えていかないことには、
大事なものも知らずうちに廃れてしまう。
ラジオみたいに。
TOP