お願いフルーツ「その他」

猫と涅槃図

猫と涅槃図
例年なら連日忘年会の頃だが、
と書いておけば、
お付き合い、大変ですね~などと
思われるかもしれないが、
すみません、少し大袈裟に書きました。
毎年、「連日」なんてことはない。
どちらかというと、
いつも年末は孤独な気がする。

いずれにせよ、
例年なら世間は忘年会シーズンだが、
今年は 忘年会を
見合わせるところも多いようだ。
決行すれば、またどこでどんな自粛警察が
現われないとも限らない。
そうでなくとも、大人数での会食は、
控えたほうがよさそうだ。

12月10日の「山陽新聞」のコラムに
書いていたが、
「忘年会」という言葉は、
夏目漱石の『吾輩は猫である』の
登場人物の会話の中にも、
さらりと出てくる場面があるらしい。
明治時代には西洋化が進み、
社交の場として庶民にも
忘年会の習慣が広まっていたようだ。

ところで、
夏目漱石が小説にするくらい、
身近な生き物なのに猫は十二支にいないし、
お釈迦様の入滅を描いた涅槃図にも
ほとんど姿が見えない。

何故なのか。

先日お亡くなりになった
原子核物理学者の有馬朗人さんは、
俳句で、その謎を解き明かしている。

ひざにゐて猫涅槃図に間に合わず

物理学者でありながら、
俳人でもあった有馬さん。
なんとも微笑ましい一句だ。

涅槃図でお釈迦様は4本の沙羅双樹の下で、
頭を北にして、西を向き、
右脇を下にした姿で横たわっている。
そのお釈迦様の周りには
多くの嘆き悲しむ人や
動物が描かれているが、
いろんな動物が
描かれているにもかかわらず、
確かに猫は
描かれていないことのほうが多いらしい。

これにはネズミが
お釈迦様の使いであったためだとか、
いろんな説があるというが、
有馬さんの説を
推したくなるのは私だけではあるまい。

ただ、現在に至るまでには、
珍しい動物を描く
絵描き作家も現われており、
一般的ではないとはいえ、
猫が描かれている涅槃図もある。
コリー犬の描かれた涅槃図もあるという。

そういった規格外の涅槃図が
最初に描かれた頃には、
「猫がいる涅槃図なんて涅槃図じゃない」
「コリー犬なんぞ、涅槃図に描いたら
涅槃図の価値が下がる」
などという識者もいたのだろうか。
仮にそうであったとしても、
猫の描かれた涅槃図も、
コリー犬の描かれた涅槃図も現在、
残されているのであるから、
何が描かれていようとも、
良質な涅槃図は、涅槃図として
後世に受け継がれていくということだ。

漫才も同じことなのだと思う。
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