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足利将軍家とビンゴ

足利将軍家とビンゴ
等持院は足利将軍家の菩提寺です。
暦応4年(1341)年、足利尊氏さんが、
「等持寺」というお寺の別院として創建しました。
開山は「夢窓国師」。こちらの別院は「北等持寺」という名前でした。

ちなみに、お寺の話でよく出てくる
「開基」と「開山」という言葉。何が違うのか?といいますと、

禅宗では、
●「開基」がお寺や宗派を創立すること、
またはお寺を創建した人や、財力・権力をもって創建させた人のこと。
●「開山」が初代住職となった僧侶のことです。
「開基」は今の言葉でわかりやすく言うと、
「スポンサー」みたいなものでしょうかね。知りませんけど。

さて、「北等持寺」は尊氏さんが亡くなった後、
尊氏さんの墓所となり、名前は「等持院」と改められました。
「霊光殿」には足利歴代将軍の木像が安置されていますが、
どういうわけか、五代将軍・足利義量の木像だけありません。

理由については いまのところ、明らかになっていませんが、一説によると、
この木像が造られた当時は、全国的に足利将軍の木像造りが流行していたそうです。
足利将軍の木像を造ることが、ステータスになっていました。
豊かさの象徴が足利歴代将軍の木像だったわけです。

裕福な商人たちは夜になると、
自らの足利将軍の木像コレクションをお互いに自慢し合いました。
そんななか、一大ブームになったのが、足利将軍の“木像合わせ”です。

瓶の中に1から15まで、数字の書かれた球を
全部合わせて150球ほど入れ、1つずつ球を取り出します。
1が出たら初代将軍尊氏、
3が出たら三代将軍義満・・といった風に、客間の所定の場所にセットしていきます。
そうして、先に15個すべてをセットしたほうが勝ちです。

等持院の当時の住職は この木像合わせが大好きでしたが、
生前、最後に行った木像合わせで、
五代将軍・義量のみ、合わせることができなかったため、
いまも、五代将軍・義量の木像だけ、欠けているんだそうです。

余談ですが、「瓶」に入れた球を取り出し、遊ぶ木像合わせで、
「五」代将軍だけ揃わなかったという、
この住職のお話は「ビンゴゲーム」の由来だともいわれています。
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