京都フルーツ
河合神社で美人祈願する女性は どうしてみんな美しいのか。
どうも。
「違いのわからない男」でおなじみになりました。
「お願いフルーツ」ディレクターの涌井です。
今日はついに、回れ右!の指示で、
左に回ってしまいました。
左と右の違いもファジーなこの頃です。
さて、少し前にブログにアップした
「下鴨神社」の「御手洗祭」の日に、
「河合神社」にもお参りしてきました。
糺の森にある「美人祈願」で知られる神社です。
「河合神社」には
お参りするだけで美人になれる・・
というご利益があるとされています。
実際に「河合神社」にやってくる女性参拝客は
美しい人ばかりです。
このため、その美しい女性参拝客を目当てに
参拝する男性参拝客も多いと聞きます。
しかしながら、
あの美しい女性参拝客の皆さんは、
果たして本当に「河合神社」のご利益によって
美しくなったのでしょうか。
それとも、最初から美しい女性が
「河合神社」にお参りするのでしょうか。
これには二つの説があります。
●一つ目は「美しい女性のほうが謙虚である説」。
「私のような不美人は神様のご利益に
あやからなくては・・」との思いで、
お参りするのが実際に不美人の方よりも、
美人のほうが多いという説です。
●二つ目は「美しい女性のほうが欲張りである説」。
「もっとキレイになりたい!
もっとキレイになりたい!
雨、もっとキレイになりたい!」と、
まるで「権藤権藤雨権藤」のように、
とにかく毎日美しくなりたいと貪欲に考えていて、
「河合神社」に辿り着くのは
実際に不美人の方よりも、
美人のほうが多いという説です。
どちらでしょうか。
私にはわかりません。
しかしながら、一つ言えることは、
「美しい」と思えば美しいし、
「美しくない」と思えば美しくないのです。
女性というのは こちらが好意を
抱くようになった途端、
キレイに見えるようになります。
(あれは不思議ですよね。
女性もそうなんでしょうか。)
あらゆる女性に対して好意を抱けば、
あらゆる女性が美しく見え、
結果的に人生が豊かになります。
だから、
「河合神社」にお参りする人が
みんな美しいのではなく、
私があらゆる女性のことを
美しいと思っているだけなのかもしれません。
そういえば、「河合神社」じゃないところで見る
女性もみんな美しいです。
やはり私は
違いのわからない男なのかもしれません。
「違いのわからない男」でおなじみになりました。
「お願いフルーツ」ディレクターの涌井です。
今日はついに、回れ右!の指示で、
左に回ってしまいました。
左と右の違いもファジーなこの頃です。
さて、少し前にブログにアップした
「下鴨神社」の「御手洗祭」の日に、
「河合神社」にもお参りしてきました。
糺の森にある「美人祈願」で知られる神社です。
「河合神社」には
お参りするだけで美人になれる・・
というご利益があるとされています。
実際に「河合神社」にやってくる女性参拝客は
美しい人ばかりです。
このため、その美しい女性参拝客を目当てに
参拝する男性参拝客も多いと聞きます。
しかしながら、
あの美しい女性参拝客の皆さんは、
果たして本当に「河合神社」のご利益によって
美しくなったのでしょうか。
それとも、最初から美しい女性が
「河合神社」にお参りするのでしょうか。
これには二つの説があります。
●一つ目は「美しい女性のほうが謙虚である説」。
「私のような不美人は神様のご利益に
あやからなくては・・」との思いで、
お参りするのが実際に不美人の方よりも、
美人のほうが多いという説です。
●二つ目は「美しい女性のほうが欲張りである説」。
「もっとキレイになりたい!
もっとキレイになりたい!
雨、もっとキレイになりたい!」と、
まるで「権藤権藤雨権藤」のように、
とにかく毎日美しくなりたいと貪欲に考えていて、
「河合神社」に辿り着くのは
実際に不美人の方よりも、
美人のほうが多いという説です。
どちらでしょうか。
私にはわかりません。
しかしながら、一つ言えることは、
「美しい」と思えば美しいし、
「美しくない」と思えば美しくないのです。
女性というのは こちらが好意を
抱くようになった途端、
キレイに見えるようになります。
(あれは不思議ですよね。
女性もそうなんでしょうか。)
あらゆる女性に対して好意を抱けば、
あらゆる女性が美しく見え、
結果的に人生が豊かになります。
だから、
「河合神社」にお参りする人が
みんな美しいのではなく、
私があらゆる女性のことを
美しいと思っているだけなのかもしれません。
そういえば、「河合神社」じゃないところで見る
女性もみんな美しいです。
やはり私は
違いのわからない男なのかもしれません。