京都フルーツ
東と西の違いはわかる涌井です。
違いのわからない男、涌井です。
違いはわからないのですが、
西と東の違いくらいはわかります。
西本願寺と東本願寺の話です。
涌井家は実家が浄土真宗大谷派です。
小学生の頃、夏休みは毎日、
お昼まで近所の大谷派のお寺でお経を読み、
お釈迦様のエピソードなどを
住職から聞いておりました。
住職のことを
「ごえんさん」と呼んでいたのですが、
あれは一種の「方言」だったのでしょうか。
それとも全国的にお坊さんのことは
「ごえんさん」と呼ぶのでしょうか。
何にせよ、いま思えば、
あれは学童保育のようなもの
だったのかもしれません。
当時、聞いた話でいまも覚えているのは、
お釈迦様が人々に寄付を受ける際、
「差別があってはいけない」と、
大金持ちだけでなく、貧乏人からも
分け隔てなく平等に寄付を受け、
あるときは貧乏人が差し出した
蛆虫だらけの腐ったお粥を
その場で飲み干したというような逸話です。
子供心に私は絶対に
お釈迦様のようにはなれないと思いましたね。
自分は「聖人」になんぞなれない。
決して特別な存在ではないのだと、
そういうことを
学ばせてくれたのではないでしょうか。
知らんけど。
夏休み以外にも、毎月1回は日曜学校で、
お寺に行っていました。
正信偈というお経は
割と毎日読んでいたような気がします。
子供の頃、一度だけ、
東本願寺に宿泊したこともあります。
そんなこともあり、
いまだに東本願寺にお参りすると、
お家に帰ったような気持ちになるのです。
これは西本願寺に行っても、
全く感じないものです。
珍しく、違いがはっきりわかるのでした。
違いはわからないのですが、
西と東の違いくらいはわかります。
西本願寺と東本願寺の話です。
涌井家は実家が浄土真宗大谷派です。
小学生の頃、夏休みは毎日、
お昼まで近所の大谷派のお寺でお経を読み、
お釈迦様のエピソードなどを
住職から聞いておりました。
住職のことを
「ごえんさん」と呼んでいたのですが、
あれは一種の「方言」だったのでしょうか。
それとも全国的にお坊さんのことは
「ごえんさん」と呼ぶのでしょうか。
何にせよ、いま思えば、
あれは学童保育のようなもの
だったのかもしれません。
当時、聞いた話でいまも覚えているのは、
お釈迦様が人々に寄付を受ける際、
「差別があってはいけない」と、
大金持ちだけでなく、貧乏人からも
分け隔てなく平等に寄付を受け、
あるときは貧乏人が差し出した
蛆虫だらけの腐ったお粥を
その場で飲み干したというような逸話です。
子供心に私は絶対に
お釈迦様のようにはなれないと思いましたね。
自分は「聖人」になんぞなれない。
決して特別な存在ではないのだと、
そういうことを
学ばせてくれたのではないでしょうか。
知らんけど。
夏休み以外にも、毎月1回は日曜学校で、
お寺に行っていました。
正信偈というお経は
割と毎日読んでいたような気がします。
子供の頃、一度だけ、
東本願寺に宿泊したこともあります。
そんなこともあり、
いまだに東本願寺にお参りすると、
お家に帰ったような気持ちになるのです。
これは西本願寺に行っても、
全く感じないものです。
珍しく、違いがはっきりわかるのでした。