京都フルーツ

京都フルーツ 望月の歌。

京都フルーツ 望月の歌。
昨晩、月をご覧になりましたか?

昨晩の月は、
平安時代に藤原道長が京の邸宅で、
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の
欠けたることもなしと思へば」と
詠んでから千年の満月でした。

「望月の歌」は藤原実資の日記
「小右記」の1018年(寛仁2)年
10月16日の条に記されています。
3人の娘が全員、
后になることが決まった日で、
オラオラだった自分のポジションを
満月にたとえた歌とされています。
新暦では11月にあたり、
今月の満月は23日に日付が
変わる頃だったそうです。

道長はこの歌のおかげで、
すっかり権力志向かつ、
偉そうでイヤな奴っぽいイメージが、できあがっていますが、
近年は「望月の歌」の新しい解釈が
注目されています。

新説を唱えているのは
京都学園大学の山本淳子教授です。
いわく、
「この世」は「この夜」の掛詞で、
「今夜はマンモスうれぴー」と、
喜びの気持ちを
詠んだのではないかというんですね。

山本教授によると、
歌が詠まれた10月16日は
当時の暦では
「望月(満月)」ではなく、
藤原清輔の歌論書には、
この歌とあわせて、
献杯の様子が描写されています。
「月」は天皇の后となった
娘を暗喩していて、
かつ、献杯の「盃」
(さかずき・・さかづき・・さか月)が
掛かっていると。
つまり、娘の結婚と
協調的な場の雰囲気を
詠んだのではないか・・
という新解釈なのです。

そういった諸々を踏まえつつ、
山本教授は「望月の歌」を
現代訳しています。

「私は‪今夜の‬この世を、
わが満足の時と感じるよ。
欠けるはずの望月が、
欠けていることもないと思うと。
なぜなら、私の月とは
后である娘たち、
また皆と交わした盃だからだ。
娘たちは三后を占め、盃は円い。
どうだ、この望月たちは
欠けておるまい」

娘を思う父の心と詠めば、
全く違った趣きがあります。

それはそれとして、
月は写真撮るの難しいっすね。
左に青く光ってるのは何かな。

ま、ま、ま、まさか!?
死兆星!!!?

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