お願いフルーツ「その他」

読書フルーツ『したきりすずめ』

読書フルーツ『したきりすずめ』
2019年読書その30
『したきりすずめ』

これも読んでから
時間が経ち過ぎてしまいました。

先日、読了するまでは
もっとブランクがありました。
おそらく、軽く30年は
越えていたのではないでしょうか。

30年以上ぶりに読んだ
『したきりすずめ』は
思ってたのとちょっと違いました。

私は てっきり、
善良なお爺さんと、
お隣の強欲なお爺さんの話だと
思っていたのですが、
善良なお爺さんと、
強欲なお婆さんの夫婦の話、
なんですね。

どうして、こんな風に
ジジイが いい人で、
ババアが悪人なんでしょうか。

一つ考えられるのは、
「物語をわかりやすくする」ため
ババアが犠牲になっている、
ということです。

つまり、
どちらかを「正義」
どちらかを「悪」にすることで
物語が単純になります。
たまたまババアが「悪」に
当てられたということです。

ところが、
『したきりすずめ』以外にも、
ジジイではなくババアが
悪者にされていることが、
割と多いような気がします。

となると、
ジジイにはなくて、
ババアにはある、
何かしらの理由があるはずです。

昔ながらの夫婦といえば、
我が家の父母なんかは
まさにそうでしたが、
融通が利かない頑固な父親と
それにあわせる母親という構図です。

これを作家として、
俯瞰して眺めてみますと、
父親の頑固な感じは、
一貫性のある立派な人物となり、
母親の処世術は、
計算高さや腹黒さに
繋がっていくかもしれません。

片方は長所も短所も長所にし、
片方は長所も短所も短所にする。

このことにより、
極端な人物ができあがり、
どちらかというと、
ババアのほうが、悪者に
されやすかったということでしょう。

昔は男性の作家のほうが、
多かったのかもしれません。
もしくは、女性の作家が、
同性に対する嫌悪を
ババアに託したのかもしれません。

ここで、
どれだけ想像してみても、
何が正解なのかはわかりませんが、
なんにせよ、
上記のようなことを
考えさせられたことが、
『したきりすずめ』を
読んだ収穫といえるでしょうね。
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