京都フルーツ
舞鶴探訪その4
舞鶴探訪その4
舞鶴は ざっくり分けると
東舞鶴と西舞鶴にわかれます。
東舞鶴は
明治時代に
海軍鎮守府が開庁して以来、
近代化の歩みを進むことになった
「海軍の街」。
西舞鶴は
細川幽斎ゆかりの
田辺城城下町として栄えた街です。
海軍の街と城下町ですから、
風景は全く違うのか?といえば
そんなことはありません。
東舞鶴の港に
護衛艦が泊まっていることや、
海沿いの赤れんが建造物たちを除けば
東舞鶴の街並みに
特別、海軍を思わせるものが
残されているわけではないです。
(通り名が
艦船の名前だったりしますが)
西舞鶴のほうも、
城下町の趣を色濃く
残しているか?といえば
そんなことはありません。
東も西も、
JRの駅前には、
ややさびれた感じの商店街が連なり、
やたらとスナックが多いところは
共通しているように思います。
地域特有の文化というのは
「継承していこう」という
意志を持たなければ、
利便性が優先され、どの街も
画一的になってしまうのです。
そんななかでも、
目的もなく、
ふらふらと東舞鶴を歩いていると、
至るところで見かけたのが、
「舞鶴自衛隊歓迎店」のマークです。
違憲か合憲か?
論争が続くなか、
肩身の狭い思いをされている
隊員さんもおられるのでしょうか。
そんな隊員さんに対して、
愛情をもって、
特別な存在として、
街全体が接しているようです。
クリーニング屋さんの店頭には
「自衛隊員の皆さん、
クリーニング割引します」との
貼り紙がありました。
飲食店のなかには
「舞鶴自衛隊協力会 推奨店」
というのもありました。
どういう意図があって、
海上自衛隊の皆さんが、
こうやって様々な優遇を
受けているのか?はわかりませんが
とにもかくにも、
この舞鶴という街が、
海上自衛隊とは切っても切れない
街であるということだけは
よくわかったのでした。
もっともっと、
舞鶴のことを
調べていきたくなりましたね。
舞鶴は ざっくり分けると
東舞鶴と西舞鶴にわかれます。
東舞鶴は
明治時代に
海軍鎮守府が開庁して以来、
近代化の歩みを進むことになった
「海軍の街」。
西舞鶴は
細川幽斎ゆかりの
田辺城城下町として栄えた街です。
海軍の街と城下町ですから、
風景は全く違うのか?といえば
そんなことはありません。
東舞鶴の港に
護衛艦が泊まっていることや、
海沿いの赤れんが建造物たちを除けば
東舞鶴の街並みに
特別、海軍を思わせるものが
残されているわけではないです。
(通り名が
艦船の名前だったりしますが)
西舞鶴のほうも、
城下町の趣を色濃く
残しているか?といえば
そんなことはありません。
東も西も、
JRの駅前には、
ややさびれた感じの商店街が連なり、
やたらとスナックが多いところは
共通しているように思います。
地域特有の文化というのは
「継承していこう」という
意志を持たなければ、
利便性が優先され、どの街も
画一的になってしまうのです。
そんななかでも、
目的もなく、
ふらふらと東舞鶴を歩いていると、
至るところで見かけたのが、
「舞鶴自衛隊歓迎店」のマークです。
違憲か合憲か?
論争が続くなか、
肩身の狭い思いをされている
隊員さんもおられるのでしょうか。
そんな隊員さんに対して、
愛情をもって、
特別な存在として、
街全体が接しているようです。
クリーニング屋さんの店頭には
「自衛隊員の皆さん、
クリーニング割引します」との
貼り紙がありました。
飲食店のなかには
「舞鶴自衛隊協力会 推奨店」
というのもありました。
どういう意図があって、
海上自衛隊の皆さんが、
こうやって様々な優遇を
受けているのか?はわかりませんが
とにもかくにも、
この舞鶴という街が、
海上自衛隊とは切っても切れない
街であるということだけは
よくわかったのでした。
もっともっと、
舞鶴のことを
調べていきたくなりましたね。