お願いフルーツ「その他」

世界一切ない初恋

世界一切ない初恋
世界一切ない初恋。

『お願いフェアリー』
作者のみずのまい先生と
『お願いフルーツ』は
「お願いふ仲間」として、
Twitterで交流が始まりました。
大変イマドキな出会い方をしまして、
私個人としても、
今年2月に初めてお会いして、
三条会商店街を散歩したりしました。

そんな「みずのまい」先生原作、
漫画を池田春香先生が描き、
コミカライズされた
「たったひとつの君との約束」を
読みました。

読みました。
といっても、
読んだのはこれで2回目。
連載中の『りぼん』でも
読んでいましたので。

コミック版は全4話。
「初恋」
「再会」
「文通」
「約束」の4話です。

小学5年の女の子「未来」が、
入院中、夏の花火大会の日、
同い年の少年「ひかり」と出会い、
来年も一緒に花火を見ようと
約束をします。

その後も病院で、
2人は まぁ、なんというか、
いちゃいちゃするわけですが、
「未来」が退院する、その日、
「ひかり」は見送りにくるって
言ったのに来なかったのです。

やがて時が過ぎ、
6年生になった「未来」は、
偶然、「ひかり」と再会するんですが
「ひかり」は「未来」のことを
憶えていませんでした。

あかん、
展開がドラマティックすぎる。。
いくらなんでも、
そんな展開、ある!?
と思ってしまうのは、
きっと現代社会に
毒されているからのように思う。

ちょうど いま、読み終えた
村上春樹と河合隼雄の対談のなかで、
河合隼雄がこんなことを言ってます。

私は小説は書きませんけれども、
生きてる人がいろいろ
悩んでおられるのに
会ってるわけです。
もうほんとに八方塞がりの状態に
なって困ったというときに、
ものすごく面白い偶然なことが
起こって解決することが多いんです。
その偶然は別に僕が
注文したわけでもないし、
その人が考えたわけじゃない。
でもそれによって変わっていく。
みんながだめだと思ったときに
反転するときがあるんです。
そういうのを見て、
そのまま僕が小説に書いたとしたら、
みんな「こんなバカなことがあるか」
と絶対言うと思います。
「こんな偶然にうまいこといくか」
と。
ところが、近代小説というのは
日常レベルの意識にものすごく
縛られているわけです。
この世界は偶然を嫌う。
例えば、偶然にうまいこといくから
頑張りましょうなんて言ってみても
だめで、勉強したら偉くなるとか、
上手にしたらうまくいくとか、
みな因果関係で偶然を排除してる
わけです。小説を、この日常レベルの
世界で考えて偶然をつくられたら
たまったもんじゃないんですよ。
ある一人の貧しい人が非常に困って
自殺しようとしました。
そして橋から飛び下りて、
水のなかで溺れる者は
藁をもつかむでパッと手をのばしたら
一千万円の札束がありました(笑)。
みんな、そんなの読む気なくなる。
それは意識の浅いところで
考えてる偶然なんです。
もっと深いところに降りていった
偶然とは違うんです。
ここでつかんだ偶然は
内的必然性を感じさせる。
それが勝負だと思います。」

この河合隼雄の言葉は
私、とても共感できるんです。
内的必然性を感じさせる偶然。
現実世界には当たり前のように
存在するんです。
これが物語になると、
途端に安っぽくなってしまいがち、
なのですが、
『たったひとつの君との約束』に
その手の安っぽさはありません。

「そう、そう、
そういうことってあるよね。」
っていう自分と、
「だいじょうぶか?
ほんまにだいじょうぶなんか?」
っていう自分が、
戦い続けながら読み終えられます。

昨日、病院で検査を受け、
「原因不明のウイルス性肺炎」と
診断された私ですが、
その診断結果に至るまでには
「結核」「膠原病」という病名が
候補にあがっておりました。

「膠原病」って
何か聞いたことあるな、と
思っていたら、
「未来」ちゃんの病気でした。

結果 私は
膠原病ではなかったのですが、
それまで聞いたことのなかった病名が
『たったひとつの君との約束』を
読んで、その名前を知ったとたん、
現実世界にも 現れ、
すれ違ってしまうというのも、
これも必然性のある偶然なのでは
ないでしょうか。知らんけど。

この感覚を大事にして、
私はこれからも、
物語を作っていきたいのです。



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