お願いフルーツ「その他」
読書フルーツ『おどるカツオブシ』
2019年読書その39
『おどるカツオブシ』
カツオブシを
熱々のお好み焼きにまぶしたら
あいつら、踊ってるみたいに
なるじゃないですか。
あの現象にだけ、
焦点を当てて、
ひとつの作品に仕上げてしまった
とてつもない手腕のお話です。
あの状態を
「踊ってるみたい」と感じた時点で
作品はできあがったも同然、
だったのかもしれません。
「踊ってる」→「ダンス」→
ダンスにもいろんなダンスがあるな、
→ダンスには歌もつきものだな、
と、まぁ、こんな風に
想像が膨らんでいったのでは
ないでしょうか。
そう考えてみると、
つくづく偉大だと思うのは、
もとを辿れば「擬人法」、
ということになります。
「カツオブシ」を
「(人が)踊っているようだ」と
感じたことによって、
様々なカツオブシダンスが生まれ、
カツオブシソングが生まれ、
(実際に作詞作曲されている)
さらにはカツオブシたちの
歩んできた人生ならぬ、
カツオブシ生まで辿れるのだから。
誰がはじめたか知りませんが、
創造に無限の可能性を
作り上げたのが
擬人法ではないでしょうか。
と、同時に、
すべてのものごとを
人間の性質に置き換えるのは
人間の驕り高ぶりなのではないか?
とも思わなくはないですが。
『おどるカツオブシ』
カツオブシを
熱々のお好み焼きにまぶしたら
あいつら、踊ってるみたいに
なるじゃないですか。
あの現象にだけ、
焦点を当てて、
ひとつの作品に仕上げてしまった
とてつもない手腕のお話です。
あの状態を
「踊ってるみたい」と感じた時点で
作品はできあがったも同然、
だったのかもしれません。
「踊ってる」→「ダンス」→
ダンスにもいろんなダンスがあるな、
→ダンスには歌もつきものだな、
と、まぁ、こんな風に
想像が膨らんでいったのでは
ないでしょうか。
そう考えてみると、
つくづく偉大だと思うのは、
もとを辿れば「擬人法」、
ということになります。
「カツオブシ」を
「(人が)踊っているようだ」と
感じたことによって、
様々なカツオブシダンスが生まれ、
カツオブシソングが生まれ、
(実際に作詞作曲されている)
さらにはカツオブシたちの
歩んできた人生ならぬ、
カツオブシ生まで辿れるのだから。
誰がはじめたか知りませんが、
創造に無限の可能性を
作り上げたのが
擬人法ではないでしょうか。
と、同時に、
すべてのものごとを
人間の性質に置き換えるのは
人間の驕り高ぶりなのではないか?
とも思わなくはないですが。