お願いフルーツ「その他」
読書フルーツ『14歳から知る 影響と連鎖の全世界史』
2019年 読書その57
『14歳から知る影響と連鎖の全世界史』
「一般教養」って何ですかね。
社会の中で生きていて思うのは、
「一般教養」というのは、
その社会の偉い人のなかで
「常識」とされてることが、
「一般教養」です。
かつて私は 映像関係の会社に
仕事の手伝いをしに行ったことがあり
後片付けの際、
ケーブルの「8の字巻き」ができず、
そこの上司に
(私は手伝いに行ってるだけなので
本来上司でもなんでもない)
人間のクズ扱いをされたことが
あります。
その上司には
(私は手伝いに行ってるだけなので
本来上司でもなんでもない)
他の現場で これも後片付けの話ですが
「ここに置いておいたら
片付けがスムーズなんじゃないかな」
と思った場所に機材を置いていたら、
「何を考えてんねん、あほか」と
一蹴され、
これまた人間のゴミ扱いを
されたことがあります。
その上司には
(私は手伝いに行ってるだけなので、
本来上司でもなんでもない)
何をどうすればよいか?
ということは 何一つ、
教えてもらったことはありません。
例え教えていなくても、
8の字巻きができるのは当たり前で
行ったことのない現場で、
どこに機材を配置しておけばよいかを
知っていることも当たり前。
その上司にとっては
一般教養なんです。
「一般教養」というのは、
その場その場で意味も内容も
変わるものなのです。
ところかわり、FM局の現場では
「SADE」を「サデ」と読んでいては
「一般教養」が「ない」といわれ、
2000年代にヒットした
m-floの曲を知らなければ、
「非常識」だと笑われるのです。
その社会の、その偉い人の、
「一般教養」に馴染めなければ
関わらないのが一番です。
どうしても
関わらなければならないなら、
その「一般教養」を遅ればせながら
少しずつ身につけて、
対抗していくしかありません。
映像の会社の「上司」については
人間のクズの
手本のような方だったので、
もうお手伝いに
行くことをやめましたが、
ラジオのほうでは、
どうしても 対抗していかねばならない
「一般教養」があります。
それのために
新聞を読むことをはじめましたし、
図書館で 世界史の本を
借りるようにもなりました。
幸い、このあたりのことは、
決して嫌いなことではないので、
必死に食らいついている最中です。
こちらに関していいますと、
100%「俺が一般教養」というような
おじさんを相手しないと
いけませんので、苦労はしますが、
自分の持つ知識教養が「一番」であり
他者をバカにすることでしか、
アイデンティティを保てないって
悲しいことなのであるなぁと、
学ばせていただきました。
他の何にも代え難い、
有難い「一般教養」です。
そういうおじさんのおかげで、
少なからず自分の中の負けん気が
刺激され、自発的にいろいろと
勉強をするようになったのも
有難いことです。
高校生の時が一番勉強したなぁ、
という私のような人間には、
「14歳から〜」的書籍が、
学び直しにはちょうどいい。
知識はまだまだティーンです。
『14歳から知る影響と連鎖の全世界史』
「一般教養」って何ですかね。
社会の中で生きていて思うのは、
「一般教養」というのは、
その社会の偉い人のなかで
「常識」とされてることが、
「一般教養」です。
かつて私は 映像関係の会社に
仕事の手伝いをしに行ったことがあり
後片付けの際、
ケーブルの「8の字巻き」ができず、
そこの上司に
(私は手伝いに行ってるだけなので
本来上司でもなんでもない)
人間のクズ扱いをされたことが
あります。
その上司には
(私は手伝いに行ってるだけなので
本来上司でもなんでもない)
他の現場で これも後片付けの話ですが
「ここに置いておいたら
片付けがスムーズなんじゃないかな」
と思った場所に機材を置いていたら、
「何を考えてんねん、あほか」と
一蹴され、
これまた人間のゴミ扱いを
されたことがあります。
その上司には
(私は手伝いに行ってるだけなので、
本来上司でもなんでもない)
何をどうすればよいか?
ということは 何一つ、
教えてもらったことはありません。
例え教えていなくても、
8の字巻きができるのは当たり前で
行ったことのない現場で、
どこに機材を配置しておけばよいかを
知っていることも当たり前。
その上司にとっては
一般教養なんです。
「一般教養」というのは、
その場その場で意味も内容も
変わるものなのです。
ところかわり、FM局の現場では
「SADE」を「サデ」と読んでいては
「一般教養」が「ない」といわれ、
2000年代にヒットした
m-floの曲を知らなければ、
「非常識」だと笑われるのです。
その社会の、その偉い人の、
「一般教養」に馴染めなければ
関わらないのが一番です。
どうしても
関わらなければならないなら、
その「一般教養」を遅ればせながら
少しずつ身につけて、
対抗していくしかありません。
映像の会社の「上司」については
人間のクズの
手本のような方だったので、
もうお手伝いに
行くことをやめましたが、
ラジオのほうでは、
どうしても 対抗していかねばならない
「一般教養」があります。
それのために
新聞を読むことをはじめましたし、
図書館で 世界史の本を
借りるようにもなりました。
幸い、このあたりのことは、
決して嫌いなことではないので、
必死に食らいついている最中です。
こちらに関していいますと、
100%「俺が一般教養」というような
おじさんを相手しないと
いけませんので、苦労はしますが、
自分の持つ知識教養が「一番」であり
他者をバカにすることでしか、
アイデンティティを保てないって
悲しいことなのであるなぁと、
学ばせていただきました。
他の何にも代え難い、
有難い「一般教養」です。
そういうおじさんのおかげで、
少なからず自分の中の負けん気が
刺激され、自発的にいろいろと
勉強をするようになったのも
有難いことです。
高校生の時が一番勉強したなぁ、
という私のような人間には、
「14歳から〜」的書籍が、
学び直しにはちょうどいい。
知識はまだまだティーンです。