京都フルーツ

LIKE A 白鵬

LIKE A 白鵬
暮らしのなかで、
ふとしたときに思い付いたことを
何かの折に役立てたいと思い、
メモをしておくようになったのは
先日久しぶりに
外山滋比古さんの『思考の整理学』を
読んだからです。

とはいえ、
それからメモをしたのは一回きり。
いま、そのメモを読み返すまで、
メモをしておくようにしようと
決めたことさえ忘れていました。

それで、
どんなことをメモしていたか?
というと、

『都市形成もラジオも
文化と金の戦いだ』と書いてある。

京都の街は 幸い、
尾崎豊風にいうと、
京都が京都であるために
どう在るべきか?を
わかっている街なのですが、
それでも 郊外には
どこにでもある
ショッピングモールが建ち、
街中にも どこにでも在るカフェや
コンビニエンスストア、
ハンバーガーショップ、
タピオカのお店などが並び、
次第に無表情化しています。

京都が京都であるために
大切にしなければならない、
理解がなければ価値の無いものより、
万国共通で 誰もが等しく、
その価値を理解できるもののほうを
選択する人、あるいは場面が
ここ京都においても、
増えているということでしょう。

そういった無表情化している
京都の街と、
ラジオが同じ道を
辿っているのではないか?
というようなことを考えて、
メモをしたんでしょうね。たぶん。

自分としては
どっちを大切にしたいのか、
っていうのは もう、
決まりきったことなので、
自分なりに、その部分を
汚されたり蔑ろにされたりしたときは
白鵬関のような、
戦う姿勢を持ちたいと思っています。
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