京都フルーツ

読書フルーツ『京都雑学事典』

読書フルーツ『京都雑学事典』
2019年 読書86
『京都雑学事典』

この本については
実は以前 αステーションのコラムに
書いております。
毎週1回更新しているのですが、
その存在すら あまり
認知されていないコラムが
あるのです。

いわゆる「京都本」ですが、
この古臭い表紙は嘘をつきません。
なんと昭和52年に出版された
京都本なのです。

だからそこかしこに
現代とは違うことが
さも当たり前のように
書かれているのが面白いんです。
いかに当時の当たり前が
現代とずれているかがわかります。

例えば同じようなことを
毎年やっているかのように見える
祇園祭も この本では
山鉾の数が「29基」になっています。

当時 「蟷螂山」も「大船鉾」も
存在していないんです。
存在するのが当たり前だという目で
存在しないのが当たり前の事実を
見るのは なんだか
不思議な感じがします。

これが明治や江戸や
あるいはもっと昔のことならば
あまり不思議にも思わないのですが
昭和52年ですと、
なんとなくギリギリ現在と
地続きのような気がするから、
より不思議に思うのでしょう。

思うに
部活の体罰の問題なんかも
根はこの「地続き」に
あるんじゃないかな。
よくも悪くも体罰が当たり前だった
あの頃と現在はまだ地続きなんです。
その「不思議さ」に
慣れ切っていない
昭和な発想の持ち主が、
体罰を肯定的に捉えてしまう。

いったん「地続き」を
やめないといけません。

そうかと思えば
大戦の記憶のように
ずっと地続きでいないと
いけないものもあるわけです。

何を捨て 何を抱き 生きていくのか。
そういうことを
もっともっと社会の問題として
扱っていったほうが
いいのかもしれないですね。


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