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地蔵盆で思い出したこと

地蔵盆で思い出したこと
あれは小学生の頃、3年生くらいだったか。
祖父が癌で余命僅かであると知らされた。
もうすぐお爺ちゃんとは会えなくなるのだ。
いなくなったらどうなるんだろうか。

そんなことを考えながら、
やがて、夜、瞼を閉じては
「死んだらどこへいくのか?」ということに
毎晩毎晩、思いを巡らせるようになった。

ある日、登校中、
祖父が癌であることを
近所のお兄ちゃん
(たぶん5年生くらいだった)に話したら、
「ガーン!」と言われた。

祖父が癌であることと、
私のショックを
「ガーン!」というダジャレにしたわけだ。
私はとても悲しかった。

と同時に「祖父が癌」という、
自分にとって、
とてつもなく重大で辛い出来事が、
比較的近い存在である
近所のお兄ちゃんにさえ、
「ガーン!」で片付けられてしまう、
どうでもいい出来事なのだと知った。

地蔵盆で盛り上がるご近所さんを
自転車で通り過ぎたとき、
なんとなく、
そんなことを思い出したのです。
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