京都フルーツ

読書フルーツ『京都の平熱』

読書フルーツ『京都の平熱』
2019年読書111『京都の平熱』

哲学者の鷲田清一さんによる京都本。
京都の市街地を巡回する
市バス206系統に沿いながら、
ハレの京都ではなく、ケの京都、
日常の京都のことを紹介しています。

日常の京都というのは
他所者の私のような者にとっては
ディープな京都と
言っていいのかもしれません。
もしくは「裏側」?
しかし、ディープとか裏側とか、
そんな風にいわれると萎えてしまう。
なにより京都人にとって、
それはディープでも裏側でもなく、
「当たり前」なのです。

どこを見渡してもゲストハウスや
ホテルだらけで、
コンビニエンスストアや
全国展開するチェーン店ばかりで
いよいよ京都も
どこにでもある無表情な街に
なりつつありますから、
いずれは この本に書かれている
京都の平熱は
忘れ去られていくのかもしれません。

京都の街には エリアごとに
必ず三奇人が存在していたらしい。
思えば 私も京都生まれではないですが
子供の頃は
「近寄ってはいけない場所」とか、
「目を合わせたらいけない大人」が
いたものです。

その危ない空気が、
大人になるまでに汚いものに対する
免疫を付けてくれたように思います。
純真だけでは生きていけないのが
世の中です。
そういうことを教えてくれる、
頭のおかしい人や、
近寄ってはいけない場所が
ありました。

近頃は どんどん街が
無表情になっています。
市バスで移動すれば
街ごとにガラリと空気が変わる、
京都の街を懐かしく
思い出さないと
いけなくなっていくのは悲しい。

街のリーダーは暮らしやすさが
街自体の魅力に
繋がらない場合もある、
という想像力と
創造力を持たないといけません。

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