お願いフルーツ「その他」
読書フルーツ『毎日の言葉』
2019年 読書116
『毎日の言葉』
民俗学者 柳田国男が、
毎日よく使う言葉の由来について
書いているのですが、
ほんまかい、それ?っていうことも
書かれていて ちょっと疑いながらも
読み進めていく
気持ち良さがありました。
「ありがとう」という言葉はその昔、
「有り難い」ほどの恵みを
神仏に感謝する言葉でありました。
次第に目上の人間にも使うようになり
いまでは 目上目下関わらず
感謝の気持ちを込めた言葉として
定着しています。
結果、
「ありがとう」という言葉は
価値が下がってきているといえます。
何度も何度も使われることにより、
まさに「ありがたみ」が
無くなってしまったわけです。
最近では中日の与田監督が
応援団に自粛を呼びかけて
話題になった「お前」という言葉も
もともとは「御前」ですから、
神仏の前ということを
指していたようですが、
いまや取り用によっては
相手に「失礼」と思わせるような
言葉になってしまいました。
似たようなことは
日常身近なところでも
起こっています。
「この仕事、
少なくて申し訳ないんやけど
5万円でお願いできんやろか?」が、
「ついでにこの仕事も
込み込みでお願いできんやろか?」
「こっちは5万円払ってるんやから、
もうちょっと仕事できひん?」
「大変申し訳ないんやけど
これまでの仕事、
3万円でお願いできないですか?
いや、
ほんとに申し訳ないんですけど。」
「ついでにこの仕事も
込み込みでお願いできんやろか?」
「こっちは3万円払ってるんやから、
もうちょっと仕事できひん?」
「大変申し訳ないんやけど
これまでの仕事、
2万円でお願いできないですか?
いや、
ほんとに申し訳ないんですけど。」
仕事の価値も申し訳ないの価値も
私の価値も あなたの価値も
下がり続けていますよね。
こうやって書くと、
誰もがおかしいとわかることなのに
実際には まかり通りがちなのが
面白いものです。
『毎日の言葉』
民俗学者 柳田国男が、
毎日よく使う言葉の由来について
書いているのですが、
ほんまかい、それ?っていうことも
書かれていて ちょっと疑いながらも
読み進めていく
気持ち良さがありました。
「ありがとう」という言葉はその昔、
「有り難い」ほどの恵みを
神仏に感謝する言葉でありました。
次第に目上の人間にも使うようになり
いまでは 目上目下関わらず
感謝の気持ちを込めた言葉として
定着しています。
結果、
「ありがとう」という言葉は
価値が下がってきているといえます。
何度も何度も使われることにより、
まさに「ありがたみ」が
無くなってしまったわけです。
最近では中日の与田監督が
応援団に自粛を呼びかけて
話題になった「お前」という言葉も
もともとは「御前」ですから、
神仏の前ということを
指していたようですが、
いまや取り用によっては
相手に「失礼」と思わせるような
言葉になってしまいました。
似たようなことは
日常身近なところでも
起こっています。
「この仕事、
少なくて申し訳ないんやけど
5万円でお願いできんやろか?」が、
「ついでにこの仕事も
込み込みでお願いできんやろか?」
「こっちは5万円払ってるんやから、
もうちょっと仕事できひん?」
「大変申し訳ないんやけど
これまでの仕事、
3万円でお願いできないですか?
いや、
ほんとに申し訳ないんですけど。」
「ついでにこの仕事も
込み込みでお願いできんやろか?」
「こっちは3万円払ってるんやから、
もうちょっと仕事できひん?」
「大変申し訳ないんやけど
これまでの仕事、
2万円でお願いできないですか?
いや、
ほんとに申し訳ないんですけど。」
仕事の価値も申し訳ないの価値も
私の価値も あなたの価値も
下がり続けていますよね。
こうやって書くと、
誰もがおかしいとわかることなのに
実際には まかり通りがちなのが
面白いものです。