お願いフルーツ「その他」

読書フルーツ『エクソフォニー』

読書フルーツ『エクソフォニー』
2019年 読書127『エクソフォニー』

エクソフォニーというのは
母語の外に出た状態一般を指します。
多和田葉子さんは
母語・日本語を話す国、日本を離れ、
ドイツで作家活動をされています。

昔から 新聞の連載を読んでいて、
面白い方だなと思っていたら、
図書館で見つけたので
借りてみました。

母語の外に出た状態での言語体験は
どれもこれも面白く、
日本語のことを見つめ直すのにも
よいのではないかしら。
私 一度も
海外旅行したことないですけれども。

面白かったのがnurという言葉。
「only」に近いようなんですが、
この言葉はドイツ人相手に使うと、
ものすごく嫌がられるそうです。

日本語の「〜しか」と似ている、
とも書いてありました。
「だけ」ではなく「しか」。
どちらも同じ限定を意味しますが、
例えばご飯が、
「お茶碗一杯分だけある」のか、
「お茶碗一杯分しかない」のかで
同じ意味でも相手への伝わり方が
変わります。
「〜しか」には
不満が含まれています。

今日は おかずに明太子と焼き鮭が
あるからご飯三杯はいける、
と思ってたのに一杯しかないのか。
っていうようなニュアンスが、
「しか」には隠されていますね。

いっぽう「だけ」には
なんとなく希望が
感じられるような気がします。

「だけ」か「しか」か。
言葉遣い一つでも、
相手への敬意があるかないか、
わかってしまうものですね。

日本語同士の会話ではもちろんですが
英語が母語の外国人と
話すときなんかでも、
「通じればよい」では
ダメなんでしょうね。
そういえば 佐藤弘樹さんも、
そんなことをずーーっと
言うてはりました。

それにしても面白かった。
また小説は読んだことないけど
好きな作家が1人増えました。
小説もちゃんと読まなあかんな。。

TOP