お願いフルーツ「その他」

人の感覚なんて本当にそれぞれ違うものなのだ

人の感覚なんて本当にそれぞれ違うものなのだ
人の感覚とは
こうも違うものか、
と驚いたお話です。

職場の先輩で
2人の子供(どっちも男)をもつ
お母さんがいるのですが、
長男の「Switch」を
次男が自分もやりたいからと、
どこかに隠してしまう、
ということが、
それまでに2回あったらしい。

その矢先、
またSwitchがなくなったので、
家族全員が、
「またあいつ!」となったらしい。
まぁ、そうなりますわな。

しかし、
今回ばかりは次男が頑なに
「俺じゃない」と言ってきかない。

それでも家族はみんな、
この次男の仕業だと思っていて、
お母さんもお爺さんも隙を見ては
「誰にも言わないから、
ほんまのことを言って。
どこに隠したん?」と
聞いていたのですが、
それでもやはり、
「俺じゃない!」の一点張り。

そうして時が経ち、
ある日、お母さんが、
お家の掃除をしていましたら、
棚の奥かどこかから
Switchが出てきたのです。

なんでこんなところから?

そういえば、数日前に
部屋にSwitchが転がっていたのを
ここに片付けたような気がする。
隠したん、私やったんや!

ということで、
「こんなとこにありましたー!」
と次男の前で宣言したら、
「だから俺じゃないって、
言ってたやんか!」と、
おんおん泣きじゃくったそうです。

隠したのは自分じゃないのに
疑われ続けたことへの悲しみ。
そして自分が悪かったのでは
なかったことが
明るみになった安心感が
涙となって溢れたのだろう。

話を聞いているだけの
私までもが泣きそうになり、
「それは泣きますわ」
と言いましたところ、
一緒に話を聞いていた後輩女史が
「いや、泣かないでしょ」と言う。

「いや、この状況、
どう考えても泣くやろ?」

「いや、泣くのはおかしいです」

こんな小さなことでも、
見解が人によって
分かれてしまうのですから、
世の中が平和であることは
奇跡なんだと思います。

そして、
だからこそ、
この世の中は面白い。

しかし、
感覚とは違うものです。
どう考えても、
泣くと思うけどな。

写真は文章とは関係のない
我が家のスーパーファミコン。
我が家には隠したわけでなく、
はなっからSwitchが無い。

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