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新聞フルーツ「司書」と「AI」

新聞フルーツ「司書」と「AI」
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。

12月25日。
「東京新聞」に掲載された
ユダヤ人のなぞなぞが、
「それ!」と思ったので引用。

長い迫害の歴史を持つユダヤ人の世界に、母親が子どもへ問いかける伝統のなぞなぞがあるという。「おまえが家を焼かれて、財産を奪われたとき、持って逃げるものは?」。それは色もにおいも形もないとヒントが付く。答えは「知性」だそうだ。

〜中略〜

源流を同じくすると思われる、本に関することわざの類いも数多い。例えば「旅先で故郷の人が知らない本に出合ったら、必ず持ち帰れ」「貧しい時に売るのは金、宝石、家、土地。本は売ってはならない」「本は敵にも貸さなければならない。さもないも知識の敵となる」

このことわざたちを
日本維新の会の皆さんにも
教えてあげたい。

「学校司書の配置増を求める国会決議案に、与野党で唯一、日本維新の会が反対し、先の臨時国会への提出が見送られていたという」
(括弧内「北海道新聞」引用)

先日も何紙か取り上げていた
問題ですが、
近い将来、司書の仕事は
AIで代替可能だ
というのがその理由らしい。

本が育む知性や感性を
否定されたような気がして悲しい。

現在、司書として、
読書の楽しみを世に広めるべく
頑張っておられる皆さんの
たゆまぬ努力をも
否定しているように聞こえる。

司書がAIに代替可能であるなら、
囲碁や将棋の棋士だって、
ミュージシャンだって、
極論代替可能ではありませんか。

ひょっとすると、
司書がAIに代替可能だなんて
言えてしまう人たちのほうが
AIにとって代わってもらったほうが
いいのかもしれません。

AIの高度な学習能力をもってすれば
司書がAIに代替可能かどうか、
冷静に「否」と
判断してくれそうな気がします。


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