京都フルーツ

ジュンク堂閉店に寄せて

ジュンク堂閉店に寄せて
滋賀県出身の私が
母校 立命館大学の入試を
受けるため、京都に来たのは
22年前のことです。

確か雪が降っていました。
湖北は雪国なので、
雪には慣れていましたが、
バスの中から眺めた
京都の雪景色や、
大学構内に入り、
受験する棟に向かう際の
冷たい風のことを思い出します。

受験シーズンだから
思い出したわけではありません。

試験を終えた夕方、
帰りのバスに乗り、
行きと同じように
外の景色を眺めていました。

試験には、
それなりの手応えがあったので、
数ヶ月後暮らすかもしれない
街のことをワクワクしながら
眺めていて何よりも驚いたのが
本屋の大きさだったのでした。

千年の古都だとか、
金閣寺銀閣寺だとか、
碁盤の目だとか、
そんなものより何よりも、
滋賀の田舎からやってきた
私の目は5階か6階かまである
本屋の大きさに釘付けになり、
都会の底力なのか、
文化都市のデフォルトなのか、
わかりませんが、
晴れて立命館大学に入学したなら
必ずこの本屋に通うのだ、と
心に決めたのでした。

無事に合格した私は
初日にさっそく、
本屋のある繁華街へと
出かけました。
(いちばんの目当ては
プレーステーションでしたが。)

1階から最上階まで、
並ぶ本の背表紙に目移りを
しまくりながら、
あまりに良書と思われる本が
並びすぎていて、
目眩のような、
クラクラとするものを覚え、
どういうわけか、お腹が痛くなり、
また回復したら本を漁り。

結局そんなことをしたのは
入学して2、3か月のもので、
それからはバンドが楽しくなって
足は遠のいたのですが、
それでも磔磔でライブしたり、
ライブを見に行ったりするときは
その本屋が目印になるので、
ついで立ち寄ったりもしました。

それからも、
足繁く通ったわけではないけれど
好きな女の子への
誕生日プレゼントの本を買ったり、
待ち合わせ場所に使ったり、
背伸びして
難しい本を買ってみたり、
そうすることで、
私はいつもあの本屋で、
自分の「いま」を、
いまの立ち位置を
確認していたような
気がするのです。

これからも、
そうしていくのだろうと
思っていたものですから、
昨日、閉店すると知ったときは
大げさでなく、
涙がこみ上げてきてしまいました。

まさかあのジュンク堂書店が
なくなってしまうなんて。

しかし考えてみたら、
確かにジュンク堂で
最近はほとんど
買い物していません。
去年一年間でも、
ジュンク堂で買った本なんて、
5冊もないかもしれません。

好きだなぁ、愛しているなぁ、
と思っているのなら、
ちゃんとお金を使わないと、
お店って
無くなってしまうんですね。

もうこんな気持ちになるのは
たくさんなので、
好きなお店には
ちゃんとお金を使いたい。
好きでもないのに
仕方なしに行ってるお店とか、
あるじゃないですか。

ああいうところで使うお金を
節約すれば、
ちゃんと好きなお店で
お金が使えるはずなのです。

限られたお金を
正しく意味のあることに
使っていかないといけませんね。
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